日々の事、犬の事、絵日記とか、たまに、ライブについて、とか、思いのままに書きたいと思います
三日坊主のつもりで始めた絵日記、いつの間にか、4年目に突入です
何卒、なにとぞ  りずむK

  • JAN
  • 22
  • 2018

「小室哲哉の引退」会見。〜終わりの最後の一言だけに見えた「真意」。とか〜

...

 

MC「これで、会見を終わります」

の後に、

小室氏の「もう一言だけ、、」の中に全てがあると思う。

高齢化社会に向けてだったりとか、介護みたいなことの大変さだったりとか、社会のこの時代のストレスだったりですとか、

少しずつですけどこの10年で触れて来たのかなって思ってるので…

こういったことを発信することで、この日本もそういったことをみなさんも含めて、何かいい方向に、少しでもみなさまが幸せになる方向に向いてくれたらいいなと心から思っております


 

そう言うことだ。

心からそう言うことだと思う。

10年間、病気であることも大変だけど、

10年間、病人を支える事も大変だ。

(もっと大変なのかもしれない)

返って来ない声に、呼びかけ続ける心とか、

握っても、握りかえされない手を、握り続ける事とか、

返って来ない、キスを、し続けてる事とか、

そして、愛情を失わないで、形を変えても愛し続ける事とか、

悲しいじゃないか?

辛いじゃないか?

それを、諦めた人がいたり、

他に、癒しを求めたり、

「助けて」と、他の人にふったりする人がいても、

責められないくないですか?

と、私は思う。

まずは、自分が生きて行かないと、誰も助けられない。 


 

「私自身が病気だったから」ではなく、

私自身が、人を裏切り続けているからだ。

元夫も含め。 

一人の人が、一人の病人を背負い続けるには10年は長い。

その間に、支える側が、力尽きて倒れることは稀じゃない。

家族が投げ出すならば、

そして、ある程度で「家族も投げ出すべき時」があるのならば、

「捨てる神あれば拾う神」と、

私は、新しく、差し伸べられた手をとるし、

看病に疲れた家族も、新しく差し伸べられた手を取らないと、

助ける側も、助けられる側も、そうやって行かないと、

どちらも生き残れない。


 

小室氏は「発信」する事をやめてない。

彼は「引退します」と会見をスタートしたけれど、

会見を、こう結んでいる。

「何かいい方向に、少しでもみなさまが幸せになる方向に向いてくれたらいいなと心から思っております。」

なんだ、発信するの、やめてないじゃん。

りずむK