- OCT
- 29
- 2018
「成城石井で、ジャガイモの皮をむく仕事をしようか?」と考え続け、ギックリ腰、再発。
昨日「え?10月が終わるの?」と気づいて、猛烈に焦りだした。
9月も何もせず終わって、10月も何もせず終わって、
日々、何もしない「罪悪感」の蓄積とかもある。
そんな折に、なんかのニュースで「成城石井で、毎日、ポテトサラダを作るための、ジャガイモの皮を何千個も剥く仕事」を見た。
私の、色々な体調とか、痙攣は悪化し続けてるし、病気は治らない事とか、諸々を考慮した上で「これなら私に向いてるのではないか?」と思ってしまった。
〜 なぜ「ポテサラのジャガイモの皮むき」なのか?〜
1)もう接客業は無理
接客業は好きだ。
前回の休業の時(38歳〜40歳)、まだ注射でなんとかなっていた。
ボトックス注射を打って、サングラスをかけずに、接客できていた。
でも、もう、それも難しい。
2)サングラス着用でできる仕事
「サングラス」というと語弊がありそうだから、「色付きレンズのメガネ」くらいに考えて。
光を遮るものがないと、痙攣が酷くなるから、必要。
3)単純作業は大好きだ。
私は、単純作業とか、反復作業が好きです。
(だからジストニアになるんだけど)
毎日、365日、同じ事をするのも平気だし、それを何年もやるのも平気。
(むしろ、なんでも、毎日やりだすと、やりすぎる。)
「毎日、黙々と、ジャガイモの皮を剥く」とか好きだろうな、と思う。
プラス「茹でたジャガイモの皮を手で剥く」から、包丁などを使わないし(不器用でもできる)、目もそんなに使わなくて良いと思う。
4)勉強をしたくない。
大抵は、新しい事をやるには、勉強が必要だ。
目の状況もあるけど、薬の離脱症状(パニック)も酷くて、頭に何も入ってこないし、学習意欲はゼロに等しい。
ゆえに、全然、学習したくない。
5)責任を追いすぎない。
なんでも真面目にやり過ぎて、やるとなると「やり過ぎ」までやるから、
達成した時の、喜びも多大ではあるけど、ストレスも多大。
「ジャガイモの皮剥き」は無責任にやって良い、という訳ではないし、
どうせやるとなったら、大真面目にやるんだろうけど、背負い過ぎない、程よい責任感をキープできる仕事は「ジャガイモの皮剥き」なんじゃないか?
とか一晩中、考えていたら、今朝、ギックリ腰をぶり返した。
そもそも、なんで働く事を考えてるか?というのは「働かない事への罪悪感」。
人々の期待に応えられなくて良いから「小さな出来る事」で働きたいと、思っている。
だけど「10月が終わる!」というだけで、焦ってきてギックリ腰がぶり返したから、
「成城石井でジャガイモの皮の剥く仕事」はちょっと、脇に置いて、今朝は、また、一先ずヨガ。
そして、明日は、目の注射!!!!
りずむK