- NOV
- 1
- 2017
「1年目の孤独」〜23歳と45歳の違い。〜
私は23歳の時に、NYに移住した。
「憧れのNYに行って、夢と希望に満ち溢れた1年」
とか思うでしょう?
そんなことないです。
最初の1年は、やっぱり孤独との戦い。
言葉の壁はもとより。
「自分が何をしに来たのかわからない」と言う壁のでかさ。
「英語学校」はアホらしすぎて3日でやめる。
ジャズダンス、バレエ、タップダンスなど、受講するも「コレ」と言うものに出会えず、徐々に、どれも辞める。
学校をやめたらやめたで「学生ビザ」の外人はどこかの学校には行かねばならぬので「アクティングスクール」入る。とか
迷走の連続と孤独。
でも「23歳は頑張れた」のと、まだ「希望」があった。
迷走するも、
1、英会話スクールからの友達(3日しか行ってないくせに)
2、ダンスレッスンからの友達(あっちこっちのレッスンに行くから)
3、ブラックファミリー(まだ、タップダンスではない)
この「ブラックたち」は「R&Bプロデューサー」のチーム。
「宇多田ヒカル(当時14歳)」をプロデュースして、日本のレコード会社に売ったら、すごい売れたので、すっかり味をしめて
「日本人を入れてプロデゥースして、アジアに売ろう」と言う考えの「ブラックファミリー」
この「愉快な仲間たち」は、ライター、エディター、ボイストレーナー、ラッパー、R&Bシンガーなどで構成されていて、常にスタジオにたむろして「何かしら創って」いた。
4、そのユニットのメンバーの女子たち(マレーシアンチャイニーズとスイス人)
この4種類からなる人々と、その関連の人々で、移住して1年経ったら「友達100人できました」って感じ。
色々な活動をすれば、知り合いはできるし、仲の良い友達もできるだろう。
それでも、ホームシックになったり、
3ヶ月ごとに、日本に帰りたくなったり、
週に2〜3回、ミュージカル「レント」を観に行き、自分を励ましたり、
「本当にやりたいこと」(タップダンスとそのファミリー)と出会うまではかなりの孤独感ではあった。
問題は今だ。45歳の今。
1、目的なし
2、仕事なし
3、希望が見えない(目も見えない)(足の麻痺治らず)
に加えて、
4、移住して最初に、変な人に出会って怯える。
この「変な人」は、過去に何度も登場した「麻薬売買」のバカ男。
「遊びに行かない」「仕事しない」
「友達いない」
「友達いても出かけない」(目が辛いから)
と言う「ものすごい限られた人間」にしか会えない、会わない生活の中で、
その中で「出会った男がソレ」と言うダメージが凄まじく大きい。
5月から、ずっと「桟橋」に散歩に行ってるけど、
犬と犬は挨拶をさせても、
私自身は、人と交わすのは「おはようございます」程度。
わざと、同じ時間に同じ場所に行かないようにしてるから、
「良く会う人」はいても「知り合いになることは避ける」生活。
そんな生活をしていたら「孤独」は大きくなって当然。
この前、ポリに会って、5分後にすぐ
「ちょっと、落ちてませんか? 大丈夫???落ち込みオーラすごいけど大丈夫?」と言われ「まずい、ポリに会っても、笑えない」と気づく。
今までだったら、
天気が良かったり、
環境を変えたり(東京に行くなど)
ポリに会ったりすると、すごく気持ちが明るくなって、ゲラゲラ笑ったりしてたんだけど、
何をしても、気持ちを持ち上げることができない。
9月、10月はあまりにも雨だった。
いつの間にか、晴れても、散歩をサボったり。
常に24時間、観ていた「テレビ」も観なくなったし
「テレビはつまらない」と言いつつも、ずっとつけてると、たまにゲラゲラ笑えることもあるのに、それすら観なくなったので、笑うこともなくなった。泣くこともなくなった。
ポリが即行で気づくほど「まとってるオーラが闇」だ。
「もう頑張らないでいいかな?」と思っている。
とりあえず、横浜での2回のライブは全力で頑張って、
そのあと「横浜で孤独に耐えながら頑張る意味はあるのか?」考えたいと思う。
りずむK
メモ
闇1)目はもう治らないと思った方がいい
闇2)右足の麻痺も、もう治らないと思った方がいい
闇3)右足の麻痺に伴い、左足の負担と痛みも、治らないと思った方がいい。
闇4)目がそんなで、顔が酷くて「新しい人との出会い」に希望が持てない
闇5)目と足に負担を抱えながら、新しい挑戦とか出会いに、期待できない
闇6)季節が1巡して冬に向かってる
闇7)「あの男」が出現してきた時期と重なり、落ち込む
闇8)笑わなくなった。もっとまずいのが、泣かなくなった。
誰か助けて。