日々の事、犬の事、絵日記とか、たまに、ライブについて、とか、思いのままに書きたいと思います
三日坊主のつもりで始めた絵日記、いつの間にか、4年目に突入です
何卒、なにとぞ  りずむK

  • FEB
  • 20
  • 2019

避けられない、白血病の話題。〜何への憤り何んだろうか?〜

...

 

今月は、注射が失敗して、ほとんど左目が見えてない事や、

目が開かない以上に、精神的な落ち込みが激しく、

それに伴い、鬱予防のために、最優先すべき、朝の散歩すらサボりがちな事や、

色々、諸々が悪循環で、

一昨日くらいから、首に激痛が走っている。←ただの、精神的な「危険信号」です。(首は、一切、悪くないはず)


 

その上に、連日の、池江璃花子選手の白血病の話題に、

何とも言えない、強い憤りを感じていて、かなり精神的にヤバイな、と思っていた。

「憤り」とは、病気の彼女に対してではないです。

病気になった人は、誰であれ「良くなって欲しい」と思う訳です。

誰であれ「悪くなれ」とか思わない訳です。

「何への、憤りなのか?」解らない所が、落とし穴だったりするんだけど。

私が、今更、サラサラ「人類が平等」とか思う訳もないですが、

池江選手の白血病を受けて、骨髄のドナー登録が、異例の急増をしたりとか。

「今まで、さんざん、白血病だった人とか?その家族とかは?」とか、思ってしまったり。

今まで、さんざ、骨髄の提供を待ってた人が居るわけじゃ無いですか?

「彼女の勇気ある決断」とか「勇気ある云々、、」とか、

大の大人が、みんなして言うことが「ヤカマシイ!」と言う怒りとか。

大人は、もっと知ってるじゃ無いですか?  

彼女の治療は、始まってないんだよ。

まだ、どれだけ大変か?解らないんだよ。

それでも18才は「治療をしない」と言う選択肢が無いからやるに決まってる。(どの辺が、勇気のある云々か、良く解らない、)

テレビで言ってるみたいに、若いし、世界的なアスリートだから、誰よりも強い力で、治療を乗り越えて、

治療が終わった後に、自分の体とは思えないほど「抗がん治療で衰えた自分の体と向き合う」事も待ってるけど、それもきっと乗り越えて、

その先に、アスリートとしての復帰が待ってる。

多分、待ってる。きっと待ってるでしょう。

でも、アスリートって、選手生命が短いじゃ無いですか? 

30歳の手前くらいには「コウスケさんを、手ぶらで帰らせるわけには行かない」とか、隠居まじかの爺さんみたいな扱いになるじゃ無いですか?

すぐです。即です。

人生100年なのに、競技によっては、二十歳過ぎたら「あの人は今」みたいな扱いになるじゃ無いですか?

今、目先の、東京オリンピックに、直近で金メダル候補だっただけに、「残念です」と言ってしまった阿呆な政治家は、すごく当然、叩かれたけど、

「あぁ〜、たくさんの人が思ってることを、正直に言ってしまった」ってだけじゃ無い?

オリンピックって、メダルメダル、メダルメダル、

利権利権、スポンサー契約、

ただただ、ただただ、ビッグマネー!!!!って感じじゃ無いですか?

感動をもらってる人は沢山いると思うけど、否定できない所じゃ無いですか。

 


 

選手が、人間が「絶好の活躍の機会」(オリンピックとか)を逃しても、

みんなの期待に応えられなくても、

仮に、一時期は活躍しても、あっという間に「引退」が来ても、

スポーツの選手生命は「人生の4分の1」くらいじゃ無いですか? 

その「旬が過ぎ去った」時に、

本当に、応援してあげますかね?って思うんです。

私は、それが、本当の応援だと思います。

東京オリンピックが過ぎ、

祭りが過ぎ、

あれやこれや、過ぎてくウチに、

絶対に、あっと言う間に、次のスター選手が現れて来るけど、

その時に、今と同じ熱量で、池江さんを応援してあげますかね?

特にメディアは? 応援してあげ無いだろうけど、メディアこそやって欲しいけど、絶対に彼らは、「旬が過ぎたもの」をそんなに応援しないのは、解っている。


 

そう言う、憤りを、勝手に感じて、落ち込んだりしていたら、堀ちえみの「舌癌」の話題です。

これは、もうツライ。

彼女も、病気の連続だったみたいだけど、

まだ、子供達と家族の為に戦う!と言っている。

「私は、負けない!」と言っていた。

その決断に敬意を払いつつ、「私は負けていいですか?」って思う。

私は、もう戦いたく無い。

病気に負けていい。

しかも、私の病気は、ツライだけで、死なないし、多分、私は、長生きする。

なので、私は、もう戦いたく無い。

戦ってるには、人生が、長過ぎる。

どんどん落ち込むし、テレビをつけると、当分の間、癌の話題は避けられないから、テレビもオフる。 

「頑張る」気持ちのある人たちには、心から、頑張って欲しいと思います。

頑張れるのは「希望」があるからだと思う、

頑張ってください。

そして「エールを送る」「エールを送る」と言ってる人たちは、

本当にツライ時は、まだまだこれからなので、

「抗がん治療」がゴールでもないし、

抗がん治療のツラさを乗り越えたところで、

本当にツライのは、もっとずっと先だから、

「エールを送る」と言った人は、送り続けて欲しい、と言う 憤りかな?

送らないだろうな〜、っていう憤りかな?

本当に、本当に、ツライ時には、メディアも社会も、誰?それ?ってなってるんだろうな〜、と言う憤りかな?

りずむK