日々の事、犬の事、絵日記とか、たまに、ライブについて、とか、思いのままに書きたいと思います
三日坊主のつもりで始めた絵日記、いつの間にか、4年目に突入です
何卒、なにとぞ  りずむK

  • FEB
  • 23
  • 2018

これからのプラン。〜「今さえよければ」という生き方をしてみようと思うのです。〜

...

 

なんと言って良いか、わからないけども、

私は、今までやって来なかった生き方の中で、

「今さえよけりゃいい」という、後先、考えない生き方をしたいと思う。

自暴自棄じゃないです。

投げやりでもないです。

ただ「10年先」とか「20年先」とか「30年先」を考えて、一生懸命やることは、ずっと、やってきたけども、うまく行かなかった。

ジストニはは、今現在では、治療法の見つかってない「不治の病」。

わかっているのは「どんどん悪化する」ということと、

「悪化はするけども、命には一切、関わらない」ということ。

「どんどん悪くなるし、辛いけども、死なないから大丈夫!!!」って言われても、それは、生きてて、幸せなのか?わからない。

ならば、

で、あるならば、

「今、幸せだったら、いっか?」

というチョイスをして生きて見たいと思う。

そういうチョイスだと、周囲の賛同とか、応援は得難い。とは思う。

何より、うちの両親が、常に言うように、

「説得力」に欠けると言うか「説得力はゼロ」だろうね。

でも、人の生き方として、そんなに、常に100パーセント、説得力は必要だろうか?と、

ひっそりと、静かに「自分が幸せだったらば、」と言う思いで生きることは、そんなに悪いことか?

できるだけ、人に迷惑をかけずに生きたいとは思うけど、

そんなにも、常に「説得力のある生き方」は必要だろうか?

ずっと応援してくれた、両親には、申し訳ないと思う。

何1つ、恩に報いることなく、申し訳ないと思う。

最低限、親よりは、絶対に長い生きするから、それで勘弁してもらえないだろうか? 

りずむK


 

PS

私の「今さえ、よけりゃいい生活の計画」は、すでに、周囲の反対を受けている。 

「反対」=「説得しなさい」だったりもする。

でも、もう「誰にも理解されなくてもいっか?」って言う生き方を、自分が必要としてたらば、それはそれで、いいのではないか?と思うのです。

と言うよりも、

「誰にも理解されなくても、自分がどうしてもやりたかったらやる」ことが、今まで、自分がやって来なかったことだと思うのです。