- OCT
- 5
- 2022
三遊亭円楽さんの死に想う、地上の役割。〜「あっちは盛り上がってるんだろうなぁ」〜
三遊亭円楽さんが亡くなって、悲しい気持ちとともに、
自ずと浮かんでくる映像。
「天国は、さぞや、盛り上がってるんだろうなぁ」。
そして、その思いと共に、タップダンスの歴史を作ってきたおじいちゃんたち(タップマスター)の姿が、生き生きと浮かんでくる。
私がNYに行った頃(1996)、
私が映画の中だけの人々だと思っていた、タップマスター達は、生きていた。
生きていただけじゃなく、
NYで会えたし、
元気に踊っていたし、
何にも変え難い「生き様」を見せてくれたし、
踊る事や、魅せる事以上に「生き方」を教えてくれたし。
たくさん、おしゃべりの中で、たくさん大事な事を教えてくれた。
まず、先に、じいさんたちの生きてる様を見てね。
動画)TAP チャレンジシーン。
※ 1分40秒を過ぎた所から、「チャレーンジ!!!」開始します。
私がNYに行く前、繰り返しみていた、映画「TAP」。このじいさんたちも、生きていた!!!
そして、この映画のシーンが撮られたスタジオの名前は「Fazil’s」。
当時、私は、毎日、1時間10ドルでこのスタジオで練習していた。
すると、タップの音に耳を傾けながら、じいさんたちが、ドアを開けて、ヒョッコリ顔を出す事も多かった。
「sounds good」 (いい音だしてるね)とか、
「Hey, that’s my step」(それ、俺のステップだよ)とか、
そんな、そんな事をいいながら、ヒョコッと顔を出して、色々な話をしてくれた。
タップの話じゃなく、人生の話をしてくれた。
この映画の主人公の、グレゴリー(当時、若手)さえも、顔を出して、私とジャムって去っていった事もある。
※「ジャムる」⬅︎互いにステップを交わして会話する。
「あの時、あの場所で、あの日の数々の想いで」=1900年代後半、Fazil’sスタジオで、
グレゴリーと、(または、バスターと、ジミーと、ニコラスブラザースと、etc, etc )です。
じいさん達は、生きていた。
1996年当時は、七割が地上で、三割が天国だったんじゃないかな?
だから、みんなに会えた。
このシーンに映っている、
ジミースライドとは、色々なショーやイベントで、舞台を共にできたし、(※ 美しく、滑りながらおどってる人です。)
ヘンリーは、いつだって、映画と同じようにピアノを弾いてくれたし、(※ ピアノ弾いてるけど、有名タップダンサーです)
ニコラスブラザースは、ある時「自分達のスタイルはもう古いんじゃないか?」という心の葛藤を打ちあてけくれて、「そんな訳あるかーい!YOUたちのスタイルがすたレルなんて事あるかーい!!!」と、私たち若者から大ブーイングを受けた(笑) ⬅︎廃れないいから、何年たっても!!!今も!!!
(※ 最後に開脚する、赤いシャツの人です。)
スティーブの基礎練習は、タップの基礎を築く、多くの壁を乗り越えさせてくれた。
(※ 最初から最後まで足踏みをしてる、緑のシャツの人です)
グレゴリーは、大スターらしからぬ気さくさで、私たち若者のジャムの輪に入ってくれた。
そんな想いでの数々の一方で、私は、サミーデイビスJrには、会えなかった。(もう他界していたので。)
※ サミーは、私が中学生の時に亡くなり、その時、私は初めて、父が泣いているのを見ました。
今や、9割以上が「天国」です。
若手だった、グレゴリーさえも、天国です。
だから、今や、天国で「こう!」に決まっています。
写真)天国で「こう!」の図。
盛り上がってるでしょうね〜(笑)
さぞや、盛り上がっている事に相違ない。
笑点のメンバーも、だいぶ「天国多め」になって、うっわー、あっちは盛り上がってるに違いないなぁ、と思わずにいられないのです。
一方で「地上の役目」というのもあります。
私が、タップダンスにこだわったり、諦めない理由があるとすれば、それは、この「じいさんたち」から貰ったものの数々。
もう、じいさんたちが地上に居ないだけじゃなく、直接、彼らから、色々なメッセージを受けた人も少なくなってきてる。
そんな大切なものの数々を、自分でストップしていいのか???
じいさんたちは、よく言ってた、
[ Pass it along the way ]と言っていた。
(行く道の途中で、人々にパスを投げて行くんだぞ。大切なメッセージを語りつげ、と。)
多分、私はまだ、もらっただけのメッセージを全然、届けていない。
私は、もう、歩くのもやっとになってきてるけど、それでも出来る事を模索するのは、じいさんたちがいたからです。
まだ、多分、やるべき事がある。
天国チームが大いに盛り上がってるけど、地上も盛り上がらないとね。(笑)
と、改めて、彼らに思いを馳せる。
りずむK