日々の事、犬の事、絵日記とか、たまに、ライブについて、とか、思いのままに書きたいと思います
三日坊主のつもりで始めた絵日記、いつの間にか、4年目に突入です
何卒、なにとぞ  りずむK

  • SEP
  • 4
  • 2023

「半分、青い」〜ライブへの道② 

...

 

NHKの連続テレビ小説「半分、青い」をネットフリックスで一気見していた。

主人公は1971年生まれ。(私の1個上の設定)

現代の歴史に沿って生きる「主人公」と一緒に、私が育ってきた昭和を、追体験できる感じです。(懐かしく、ほっこり)

主人公が、5年生で体験した世の中は、私が4年生で体験したこと。

「半分、青い」って何?

と、思いながらドラマを観てると、小学5年生くらいでソレが出てくる。

主人公は「片耳が聞こえなくなる」というハンディを背負う。

原因は、おたふく風の後遺症、みたいな事だし、コソには深く触れない。

ただ、片耳が聞こえなくなったり、三半規管が鈍ってバランスがとりずらくなる娘の観て、「自分を攻める母親、嘆き悲しむ母親」がクローズアップされる。

そんな母親を見て「母が苦しんでいる!!」と思う主人公は、母に伝える。

雨の日に「雨音が半分だけ」しか聞こえない事で、私の世界の半分は青空や!と。

雨が降ってても、半分は晴れてるんや!と。

「半分、青い」やで、お母ちゃん! 

みたいな事。

 


 

でも、このメッセージは、ドラマの前半では、なんだかすごく「うすらぼんやり」していて、私も、なんだったか?すっかり忘れました。

そして、ドラマを観ながらたびたび、「半分青いってなんやねん?」と思ったりしていた。

でも、主人公が大人になり、キャリアを経て、結婚し、母となり、あれこれして、ドラマの最後の方になって、

主人公の母親が年寄りになって癌になった時、このメッセージは蘇ってくる。

「母の5年生存率が50%」となって、悲しむ家族。

その時に、主人公に向かって、母は言いました。

あんたは昔、耳が聞こえんようになった時、私の耳は「半分青い」って言った。

私も、今、生きてる事が嬉しい。

私も、毎日、朝が来る事が嬉しい。

日々が、幸せに満ちている。 

今、生きている事が嬉しくて、幸せや。


 

要約すると、(私の解釈ですが)

「耳が聞こえなくなった」ことを、「雨でも半分が聞こえないから青空や!」と表現した娘に対して、

母もまた「5年生存率が50%や」いうことより、なにより、「毎日、生きてる、という方の50%を強く味わっている。」

だから、毎日、とっても幸せな「幸せ病」や。

みたいに言ってました。


 

あぁ、そうだねぇ「そういう風に感じられたら、いいなぁ」とひどく思った私。 

言うのは簡単だけどね!!! (簡単に言わないで!)

実際の私は、全くそうじゃない。

生きてる事がしんどいし、絶望が大きすぎて苦しいし、がんばろう!と思うたびに出鼻を挫かれる事にうんざりしているし、

むやみに「ハンディを乗り越えて頑張る人」のドラマも見せられても、押し付けがましく感じちゃう事が多いし、 

「頑張れる人は頑張ればいいし、尊敬するけど、私は無理だ!」と思うし、

もう、「とにかく楽をして、生きたい」と思うし、 

でも、でも、でも!!! 

本当は「片足しかつかない」という発想よりは、「片足が支える!」という発想になりたいし、

「目がほとんど見えない」という苦しみより、「たまにだけど、目が見える時はドラマも楽しめる」という発想になったらいいなと思うし、

「目や顔面の痛みがひどい時」より「痛くない時もある」という事を感じられたら、めちゃ嬉しいと思う。 

「辛い時」の「じゃない方」を感じられたら、本当にいいな、って思う。

それが「半分、青い」だと思う。

まだ、自分も、そうありたい!という気持ちだけは、かすかに残っている。


  

そんな訳で、毎回、同じダンスナンバーをやっているようでありつつ、毎度毎度、「たった今、使える足で、出来るステップ」に作り替えながら、お届けしています。笑 

今回もまた「ボージャングルスさんへのオマージュ」は、作り替えている。

オマージュ(メッセージ)が大切なのであり、ステップへのこだわりはほぼゼロ。今、できる事で、自分が表現したい、オマージュができればいい。

ライブに来てね!笑

りずむK  


 

PS) 今日、51歳になった私。15歳になった久太朗。 

この15年、久太朗に支えられて、生きてきました。

これから次の10年も、久太朗と共に、いきます。

みなさま、暖かく見守ってくださり、ありがとう!!!!