- MAR
- 31
- 2020
志村けんのショックと、私の「50−80問題」と。
日本中に、世界中に、志村けんさんの訃報とショックが走っている。
今朝の私は、そのショックから、また引きこもりになりそうになり「その重みはなんなのか?」と考えている。
1)言うまでもなく「ドリフターズ」を見て、育った。
2)私から上の世代は、ドリフを見ずに、育った人はいない。それが、「国民的なお化け番組」と言われる由縁だ。
(全国民的な視聴率)
2)かと言って、私は、ドリフのファンでも、志村さんの大ファンと言う訳ではなかった。
4)それでも、なお、志村さんの訃報には、凄まじいショックを受けた。
「順番」とは言え「人生の先輩たち」が逝くたび、私は、酷く落ち込み過ぎて「力を失う」。
1)私がアメリカに行かなくなった理由は「私を育ててくれた爺さんたち(マスター)」たちが、みんな死んだから。
2)魅力があるのは、国でも場所でもなく「人」だ。
3)そして、私が、とても惹かれるのは「爺さん&婆さん」たち。
4)先日も「タップダンス界の母」イベットが逝ったばかり。
5)「先輩たちの背中」を見てると、なんとか頑張れる気がする。
6)その「見るべき背中」が亡くなる事のショックと消失感。
完全に、行くべき道も、見るべきものも、やるべき事も、なんだか亡くなった感じがする。
私が、アメリカにもNYにも、興味が無くなった様に、、、。
NYの友人たちは「りずむは、いつNYに帰ってくるんだ?」と言い続けてくれますが、
私は、爺さんたちの居なくなったアメリカにもNYにも、もう戻らない、戻る理由がない、、と思っている。
(私を育ててくれた爺さんたちは、今、生きてれば 100歳以上〜120歳 )
そして、私の50−80問題。
〜50−80問題とは〜(ざっくりですが)
1)30代−40代の世代に、溢れるニート&引きこもりの問題。
2)これを支えてるのが、今60ー70代の「団塊の世代」と言われる、「必死で働く世代」
3)この「働く世代」が80代に突入して、身体的にも経済的にも、精神的にも弱ってくる。
4)自らも老齢ならが、ニートの中年を支えてきた重圧(疲労)も蓄積されてくる。
5)50代の中年のニートと、今度は支えてもらうべき80代の高齢者が、共に倒れていく、、
と言う感じが、多分、世の中で言う「50−80問題」です。
あくまでも、私なりの、理解の仕方ですが、自分に、思い当たるフシがありすぎる。
私の「精神的な支え」は、
以前は「おじいちゃん&おばあちゃん」だったかもしれないが、
その「おじいちゃん&おばあちゃん」世代が逝ってしまった今となっては、70−80代の、父母の世代だ。
私の父母で言うと、77歳、78歳。
私が、今、背中を見ているのは、70代周辺の「人生の先輩」たち。
志村けんの死の喪失感と、ショックは、
その「父母の世代」を失っていく悲しみとショックであるように思う。
何故だか、私は「若者にパワー」をもらったりしないみたいだ。
つい、この半年間、居酒屋で、高校生& 大学生と一緒に働いてはみたが、そこで「パワーをもらう」と言う事はありえない。
実際、若者と半年間、働いて、老け込んだ感じがする。
まだ、人生の上りも下りも経験してない人の「価値観」とか、「人生観」に、シェアするものは、ほぼ何もない、と言ってもいい。
今朝は、あまりにもショックで、お散歩をサボりそうになったが、なんとか出発。
山下公園と、象の鼻と、横浜公園(スタジアム)で、たくさんの60〜90歳の「先輩」たちの、元気な顔を見れて、少し気持ちを保っている。
順番と、わかって居ながら、ショックなのです。
順番と、わかっていても、この「先輩たちの掛け替えのなさ」は筆舌に尽くしがたい。
その「先輩たち」の貴重な命がこれ以上、失われない様に、このコロナウイスルに向き合わないといけないと、世界中に言われている、日本です。
私は、コロナウイルスよりも、「先輩たちの背中」が失われて行く事が、怖いです。
りずむK