- MAR
- 7
- 2019
「弱いのは悪いのか?」と、「そんな応援あるか?!」←あてにならないエール。
抗がん治療が始まって「三日も食べれてない」と、想像の数十倍、数百倍のツラさを訴えた、池江璃花子選手。
注)引き続き、池江さんには「乗り越えろ!!!」って強く思ってるけど、憤りは「マスコミの報道のあり方」です。
「ゴールが決まってる事」って、比較的、頑張れる気がする。
抗がん治療は、大抵の場合、最初にメニューが決まって、
(言葉に語弊があるかもですが、ざっくり言うと)、
1)例えば「この抗がん剤を、何日間流す」のを何セットやります。とか
池江さんは、今、これの1回目の最初。
始まって、数日して、嘔吐とか始まったり。
2)「抗がん剤を流す期間(1週間とか10日とか)」終わって休憩。体力の回復を待つ。
吐き気が弱まって、少しづつでも食べて、体力と体重を回復して次に備える。
3)2回目の「抗がん剤を流す」日々。
1回目より、体が弱っているし、嘔吐もひどくなったり、
高熱が出たり、肺炎とか合併症を起こさないようにより注意。
髪の毛も、ガツガツ抜けて、なくなる。とか
(あっという間に、なくなる)
池江さんの様に、3日食べてない、とかどうでも良くなり、「どうせ唾を飲み込んでも吐く」って感じになるから、点滴に任せて、無理に食べる必要もなくなる。
4)1〜3の繰り返し。(決めた回数やる)
と言うメニューをこなすのが、数ヶ月だったり、半年だったりとか。(ケースバイケースか?と。)
この流れは、世界的アスリートの体と精神力で、絶対に乗り切る事でしょう。(間違いなく、乗り切る!)
でも、もっとツライのは、やっぱりその後なんだって。
誰でも「1回の痛み」とか「一回の失敗」とかからは、なんだかんだで、立ち上がれる気がする。
私も、1回のガンは、過ぎ去って見れば「ガン?あったね〜。」と思える程、その苦痛とか、痛みは、15年の月日の間に、割と忘れつつある。
再発してないし、1回だし、若かったし、生きる気力あったし。
でも、その後に「大きい病気した人は、うつ病になりやすい」とか言って、まんまとうつ病になり、(←地獄の日々←凄い地獄)
腰痛に倒れ、一時、立てないまでになり、日本中の「神の手」を求めて、さまよった挙句、「腰痛が心の病」からきてる事を悟り、克服の仕方を習得したが、
あれもこれも「鬱のせい?」とか思って、「目が開かないのも鬱のせいか?」と思ってたら、ジストニアと発覚。
10年間「ほぼ見えてない&顔面が痛い」を苦しんで、
アレコレ手術。
眉毛の上を切って、失敗。
眉毛の下も切って、失敗。
頭蓋骨を削って、胸に入れたペースメーカーで脳を刺激して、失敗。
まぶたの上も切って、失敗。
まぶたの下も切って、失敗。
さらにもう1回、まぶたの上も切って、失敗。
さらにもう1回、まぶたの下も切って、失敗。
全部、失敗してね、、、。
さらに「脳の深部」をいじるって、恐ろしい事で、
そのオペ以降、右足の膝から下、動かず、とか、
そこまでやって、何1つ治ってなくて、更に、右足が動かないとかは「もう、七転び八起き」って、、できない、私。
「転がったまま、いようかな」って思ってしまう。
どこを切っても、頭を削っても、ペースメーカー出したり入れたりしても、
オペが上手くいって、前途洋洋だったら、
今、せめて「喉元過ぎれば暑さを忘るる」って言えてると思う。
「過ぎて見れば、オペの痛みなんて、大した事なかったかもしれない、治ったし!」と言えてたかもしれない。
でも、あれだけやって、何1つ治らなかった上に、
更に、右足が動かないとは、タップダンサー的に致命傷、ってなると、
「もう、起き上がらないでも、いいかな?」と、なってしまう。
それは、私の弱さかもしれないけれど、
「じゃあ、弱いのは悪いのか?」と言うテーマです。
折りしも、今日、梅宮辰夫が6回目のガンを告白。
そう、再発、再発を繰り返した場合とか、
再発、転移、再発、転移、とか、
次々に新しいガン治療がやってきたりとか、
それと、闘ってるのは凄いと思う。
そこには「戦うだけの人生への希望」とかあるんだろうな、、とか。
愛娘への愛とか、まだまだ、これから先、孫の成長を見たいとか、そう言うの?とか?
いづれにしても、戦い続けてる人は、凄いと思う。
今日の「マスコミのバカ度合い」は、
前の「池江選手、ガンを告白」の時、
こぞって「勇気ある告白」とか貧相な言葉でたてまつり、
(←あれだけ利権が絡んでたら、病気休養の発表はせざるを得ないだけじゃないか)
日本中からエールがとか、アスリートからもエールがとか、著名人からもエールがとか、
「エール万歳」みたいに、全チャンネルで、同じ角度から、同じ報道の仕方をしておいて、
今朝づけで、池江選手がたった一言「思ったよりツラかった」と言っただけで、
「頑張ってください」と言えなくなって、
「あんまり頑張れと言うとプレッシャーになるかも」とか、
「応援してます」と言ってしまった後に、
「あ、応援もいけないのか?」と、
「あまりエールを送らず、そっと影ながら、、、ね」的な、阿呆な空気に。
全てのコメントに、奥歯にモノが挟まっている。
←バーカ バーカって感じ。
言ったでしょう?
エールエール、言った人は、そのエール送り続けろ!!!って。
しかも「闘病」期間じゃなく、
そこから、立ち上がれても、立ち上がれなくても、
立ち上がれない時こそエール、送り続けろ!!って。
1回、立ち上がっても、やっぱダメだ、って何度もなった時、
本当に、心が折れた時、エール送ってやれるのか?って、言ったでしょう?
たった一言「思ったよりツラかった」と言っただけで、
腫れ物に触るように、エールを控えてるようじゃ、もう絶対怪しいな。←言い方に気をつけないと、何でも「炎上」を恐れてる感じ。
「弱いのは悪いのでしょうか?」と言うテーマに戻る。
強い人を応援するのは楽しいかもしれない。
期待があるし、希望があるし。
弱い人を応援しても、つまんないかもね。
私、頑張らないし、倒れたままだし、大きな希望も期待もないし。
だから弱い人を、応援できませんかね?
だから弱い人、と言うか、人が弱ってる時に応援できませんかね?
そう言う時が、一番、応援を必要としてるんじゃないか?と、思うけれど。
私は「もう、ずっと弱いままでいいや」と思ってるけど、
数少ない人だけど、そんな弱い私に、
ずっと強いエールを送ってくれていて、
私は、そのおかげで、なんとか生きてる気がする。
たった一言「辛いかも。」と弱音を吐いただけの選手の、応援を急激に躊躇してるマスコミは、絶対に「炎上」を恐れてるだけで、
「あんまり頑張れと言っちゃいけないかもしれない」と、弱々しい声で言ってる人たちの応援は、
一切、あてにならないに違いなさすぎる。
バーカ、バーカ。←マスコミがです。
りずむK