- MAY
- 30
- 2016
「間違った正義感」〜ポリちゃんとの会話より〜
ポリちゃんは、たまに、私に相談に来て、しょっちゅう「返り討ち」に合います。www
※ 「りずむさーん、聞いてくださいよぅ」と相談にきて、味方になってもらう予定だった。
※ 逆に「ぽりちゃん、、」と説教が始まって、打ちのめされる。
※ とても、楽しいです。www
この前、ポリちゃんは、こう切り出しました。
「正論って、正論じゃないですかぁ」
「正論」っていうのは、「正論」なんだから、絶対に正しいと思うんですよぉ〜僕は〜。
私 (ニヤリ)←キタキタ www
り 「私も、そう思ってた時あるんだぁ」
ポリ 「あ’’、あ’’ あ’’」←もう、イヤな予感してるw
り 「世の中には、間違った、正義感。というのがある事に、気づいた時があるんだよねぇ」
ポリ 「あ’’ あ’’ あ’’ あ’’ああぁあああああああ!!」←皆まで言うな的。
以下、ポリちゃん「思い当たる事」があるらしく、うつむいて、すでに敗北。www
※ 私も「間違ってる事は、間違ってる」って言うのが、いつでも、正しいと思ってた時があるんだぁ。
※ でも、ある日「人にはそれぞれ、違った価値観がある」と気づいた。
※ 特に、年代や生きてきた時代背景、バックグラウンドが違うと、価値観も違う。
※ それが、誰であれ、その人の「生き方」とか「価値観」は否定するものじゃない。
※ 特に、それが、年配の方だった場合、その「年配の人たち」が、私たちが今もっている、「自由」とか「裕福な暮らし」とか「平和な生活」を作り上げてくれた。
※ 「その時代」があったから、私たちは「今、裕福で、自由で、平和に暮らしてる」
※ だからこそ、「年配の人とは、価値観」が合わない、という事もある。
※ 私たちごとき若輩でも「主張」を持っている。
※ ならば、年配の方はもっと「主張」とか「積み重ねた歴史」とか「信念を持っている」
※ さて、その方たちの「主張」とか「歴史」とか「信念」を「僕は、正しいから」と言って、否定するのは、いいかなぁ?
※ 最近の若者がよく使う「リスペクト」とは、そういう時に「発動」すべきなんじゃないかなぁ?
※ 「リスペクト」とは、そういう事だと思う。
私はそれを「間違った、正義感」と呼び始めた。
「正論」は「正論」であっても、それをいう事や、押し付ける事は、必ずしも、正しくない。
ポリちゃん、『あ’’ーーーーーーー」とため息をついて、何かが、彼の中で、解決したらしい。www
でも、確実に1回だけ、ポリちゃんが「返り討ち」に合わなかった時があります。
りずむさーーん、聞いてくださいよぅ、、、
帽子をクリーニングに出したら、こうなって返ってきたんですよぅ。
※ ボーラーハット(ヘルメットみたいに丸い帽子)をクリーニングに出したら、クッキリ「折り目」がついて「中折れハット」になって、返って来た。wwwww
※ コレは、ないわー!!!マジでないわーー!!!
※ その後「折り目を無くしました」っぽく、スチームアイロンかなんかで、「形だけ元に戻して」返してきた。
※ でも、1度「中折れハット」にしてしまった「折り目の痕はクッキリ」残っています。www
※ 笑っちゃうけど、笑い事じゃないです。
※ これは「無い」。「賠償問題」であってしかるべき
ポリちゃん
「良かったぁあああ。オレ、これ、りずむさんに、それはポリが悪い!!!って言われたら、まじ、悲しかったですわぁ」
みたいな件。←うける。www
そういう時には「正論」を発動して、断固戦っても良いと思います。wwww
りずむK