- JUN
- 17
- 2016
「才能」の有る無しは、どうでもいい、と思ってた。
今も、思ってるけど、でも「違うかもしれない」とも思う、最近。
「才能有るか、無いか?なんて、どぉーーーでもいい!!!」(関係ない)
※ 才能が必要なのは、最後の1パーセント。
※ それ以外の99パーセントは努力。
※ 努力という言葉は好きじゃないけど、でも「努力」
私は「私/僕、才能ないんですかねぇ?諦めた方がいいですか?」という言葉を発する生徒に、こう言ってきた。
(何十人も ←みんな、良く言うわぁ〜、このセリフ)
「うーん、無いかもね。やめれば?」
〜そんな事を言う、理由〜
※ 「才能が有るか無いか」とか、1年とか3年とか数年で、決める事じゃない。
※ 世界でナンバー1と言われる、セイビアンがどの位、練習してるか知ってるか?
答え「生まれた時から、バカみたいに練習している」
※ 今、活躍してる、アメリカの若いタップダンサーが、どの位、練習してるか知ってるか?
答え「生まれた時から、アホみたいに練習してる」
※ 来日する、アメリカのタップダンサーが、日本に着いてから、最初にどこに行くか、知ってるか?
答え「ベースメント」(練習スタジオ)
13時間、飛行機に乗って来日したら、その「練習が空白の時間」が不安で、ストレスで「練習中毒」だからだ。
すなわち
A)多分「才能ある」と思われてる人でも、人から見たら、バカみたいに練習してる。(しかも、生まれた時から)
B)私を含め、凡人ならば、いくら練習しても足り無いはず。
C)数年やって「才能ないからやめる」というならば、やめれば良い。
D)本当に才能が問われるのは「トップのトップに行ってからの1パーセントだけ」だけど、そこまでは「努力する」という才能は必要だ。
E) たった数年で結果を求めるなら、それは無理だから、やめれば?みたいな。
F)「才能ないのかも、、諦めようかな」という発言をする人ほど、そもそも、さほどやってない。
「やめれば?」←ダメな先生かも。w
(多分、ココでは「そんな事ないよぅ〜。頑張って!!」とか言うセリフが求められていると思います)
私が、こんな事を言うのは、私自身が、不器用だからだ。
「器用か、不器用か?」も実は、関係ない、と思う。
※ 私は、1度に1個の事しかできない。
※ 1つのクラスに行っても「1個のステップ」しか持って帰れ無い。
※ 私の日本の師匠の一人は「学ぶ時は貪欲に、舞台は無欲に」と良く言っていた。
※ 「学ぶ時は貪欲に」というのは、「やたらなんでも欲張る」という意味では無いと思う。
※ 1つのクラスに行ったり、1つのショーを観て「自分が持て無い程、多くのモノを欲張って、持って帰ろうとする」と、全部、落として、こぼして、手ぶらで帰って来ると思う。
※ NYに行ってから(23歳から)、基礎の無い、私が、1個のクラスで持ち帰る事ができたのは、多くて1個。
※ その1個を、次の日に、何時間でも、出来るようになるまで練習した。(毎日、それの繰り返し)
※ その1個が「10年前からやってました」みたいな感じで、自然に出来るようになるのは、やっぱ10年後。
※ 不器用でバカみたいだし、人にはバカにされるけど、必要な時間だ。
※ 「器用な人」は2個とか3個、持って帰ったりする。
※ だけど、その人は、その2個か3個の、どれも「落として無くしたり」「あいまい」だったり「持って帰っただけ」で終わってる事が多いのも良く知ってる。(沢山、見てきた)
※ いっぱい持って帰っても「自分のモノ」にしないと意味ない。
そんなこんなで、私は「努力家」とか「ストイック」とか言われるのが、ちょー嫌いだったけど、いつの間にか、そういう不器用な自分も受け入れるようになった。
そんな私が「才能の有る無し、関係あるかも」と思い始めた訳。
「医者」という職業は「何十年もかけて、失敗して、患者を実験台にして良いのか?」と思ってしまったから。
※ 私達は、失敗して成長してきたけど、医者は失敗していいのか?
※ 何十年もかけて「才能が開花」するまでに、その間、多くの患者を犠牲にしていいのか?
※ 私は、多くの観客を犠牲にしてきた。
※ 「犠牲」という言い方は悪いけど、お客さんの前で失敗しないと、育たない。
※ 多くの観客の、寛大な心(応援)で育ってきた。
※ そんな、私だけど、医者の失敗に、寛大になれない。
※ 歯の矯正を、歯科大学病院でやったけど、あしかけ10年?(10代のほぼ全て?)、すごい不器用な担当医で、必要以上に苦しんだ。
※ そして、今回の東京女子医大。
※ 最後に行った時(今週の月曜)
「もう、いい加減にしてください。私は、だいぶ実験台にも練習台にもなったと思います。主治医なら主治医らしく、自分で診てよ」と言ったら、主治医が出てきた。
※ ぶっちゃけ「不器用」な外科医と歯医者は最悪だと思う。
※ ぶっちゃけ、不器用な人は、外科医と歯科医にはならないで欲しい。
※ 何十年かけても不器用な人間は、不器用だし、外科医に関しては、オペを出来る、タイムリミット(年齢)に限界がある。
※ 技術とか視力とかは、年齢と共に、衰える一方だから。
「職種によるのかな?」と思ってみたけど、違うと思う。
悪いのは
「スクール」=お勉強の場所=勉強は自分で勝手にやれ!!!と
「プロ」=医療の現場=対患者(人間相手)
を、一緒くたにしてる大学病院のシステムだと思う。
※ 私たちの仕事だって「発表会」=生徒が、頑張ってれば良い場と、「プロの舞台」を一緒くたにすると、観客は離れていく。
でも「不器用な人」は、外科医と歯科医にはなって欲しくない。
「手先が不器用」ね。
「生き方が不器用」とかでなく。
何を書いてタンだか、良くわからなくなったけど、イチローは天才じゃない。
イチローは「努力家」をバカみたいにやり続けた あげく、「天才」とか「才能がある」と言われ始めた。
と思う。
何を、書きたかったのか、解らず、終わる。
寝る。w
りずむK