- JLY
- 16
- 2018
素晴らしく良いものを観ても、ギックリ腰。〜心に刺さりすぎる「バイプレーヤーズ」〜

バイプレーヤーズ
名脇役 6人が シェアハウスで暮らしたら。
遠藤憲一、大杉漣、田口トモロヲ、寺島進、松重豊、光石研
今朝の散歩の途中で「あ、やばい!」と、ギックリ腰。
まだギックリ初期です。
それから1時間以上、歩いて帰ってきたし、
原因が、なんとなく解ってるから、大丈夫だと思う。
今から、状況を修復します。
原因は、これでしょう、、、、。
多分、かなり確実にコレです。
この二日間くらい「バイプレーヤーズ」というドラマを夢中で観た(全12話)。
「バイプレーヤーズ」
〜もしも、名脇役6人が、シェアハウスで暮したら〜
です。
遠藤憲一、大杉漣、田口トモロヲ、寺島進、松重豊、光石研
です!! ←すでに、やばくないですか?
絶対に面白そう、と思ったけれど、面白だけじゃなく、
この6人が素敵すぎて、
「このドラマは、憧れだ!!!」と猛烈に強く感じた。
誰にせよ、この企画を作った人も、このキャストを選んだ人も、このドラマに関わった全ての人が、
この6人の、役者さんへの「多大なる尊敬」とか、
この6人の、役者さんへの、「大いなる羨望」とか、
この6人の、役者さんへの、「果てしない憧れ」を持って、
このドラマを作っている。
また、観た私も、
全く「役者」でもなんでもないくせに、
その「尊敬、羨望、憧れ」を受け取って、
彼らを、尊敬し、憧れ、
そして、とてつもなく羨ましいと思った。
とても、強く「羨ましい!!!」と、思った。
〜何が、羨ましいのか?〜
1)「芝居」という、そんなにも夢中になれるモノがある事が、
2)「芝居」さえ、していれば、幸せだと思える事が、
3)「芝居」に命をかけれる事が、
4)「芝居」を通して、かけがえのない「仲間」がいる事が、
5) お互いを、尊敬し、信頼し「一緒に最高の作品を作れる仲間」がいる、という事が、
そんな事が、猛烈に、羨ましい訳です。
〜なぜ、それが「ギックリ腰」に繋がるのか?〜
思い出してください。
今の私のモットーは、
1)人を羨まない
2)人を妬まない
3)人を恨まない
持ってないものを「望む」のではなく、持っているものを大切にして、
出来ない事を見て嘆くのではなく、自分が「出来る事」を見て、
「できる事がある事」に感謝する。
です。
だから、こんなにも「心底、羨ましい!!」と、
強く心に刺さるものを見ちゃったら、ダメなんです。
昨日の夜中、ずっと、色々、考えすぎて、
ものすごい、モヤモヤするから「ブログに書こうか?」とも思ったけれど、
感じたものが、大きすぎて、
「メンドくさいから書くのやーめた」と思って、
見なかった事、感じなかった事にして、朝を迎えて、、、
からの、、、、、
案の定、散歩中にギックリ腰です!!!
なので、たった今、この場所で、心の声の「排出作業」をやっている次第です。
ストレス(圧力)とは、悪い事が起こった時だけ、のしかかるのではなく、
良いことや、良い刺激が会った時にも、ストレスはかかります。
これだけ、心に、何かしら、強く刺さってきたら、それは、それなりの圧力だよね。
羨んじゃダメなんだよね〜。
今は、割と、何事も「なかった事」にして、楽して、生きていたいのです、私。
ラクをして生きれば、ツライ事も半分だけど、楽しい事も半分。だけど、今は、それでいいと思っている。
「極端に楽しい事がなくても、極端にツライ事がなければ、それで幸せなんじゃないかな?」と思っていたい訳です。
他の人が、どうあれ。
ほどほどに幸せで、ほどほどにツラく、うっすらラクして生きたいのです、今は。
今、そういう状況なので、色々な事を、見て見ぬ振りをしたり、
自分がやりたい事があっても、特に頑張らず、
頑張らないから、何事も、成し遂げず、
とにかく、ラクして、生きてるし、
今は、そうありたいと思っている。
だから、ちょっと刺激が強すぎたんだな、素敵な「おじさんたち」の生き様が。
と、思います。
テレビ東京だし、明らかにふざけてるし、
「絶対に、めちゃめちゃ面白いはず!!!」と思って観てた。
第一話こそ、ぎこちないけれど、
なぜ、ぎこちないか?というと、
役者になるために生まれて、
役者として生きて、
死ぬまで役者だな、
(死んでも、役者かも?)っていう人を6人も集めて、
「役」じゃなく「本人」をやらせようとしてるから、
第一話は、なんとなく、ぎこちない。
でも、本当にふざけてて、面白い。
回を追うごとに、面白くなっていく。
第5話くらいに、この6人で、アイドルのMV(ミュージックビデオ)に出演するのとか、最高にカッコいいし、最高に笑える。
と、この辺りまでは、ただ笑って見てられる。
この先、なんか「メッセージ性」を足してくるんですよ〜。
(あるいは、私は、そう、受け取ってしまった)
バイプレーヤー、という「役職」の「あり方」とか、
バイプレーヤー、という人々の、芝居への思いとか、
バイプレーヤー、という人たちの「職人魂」みたいなものとか、
色々。諸々。
私は、多分「役者」とは真逆。
「対極」に居る、と思う。
「役」を演じるのが「役者」に対して、
「我」を表現するのが、アーティストだとする。
このドラマの中でも、何度か、
「バイプレーヤーたるもの、己(我)を捨てる選択肢が必要だ。」的な表現が、しばしば出てくる。
(もっと深いです。もっと複雑な、言い方です)
その言葉は、私が仕事をしてる時にも、
仕事仲間の「俳優」たちに、すごく言われた。
「すごく!」何度も、言われた。笑!
「りずむの考え」は関係ない!と、何度も言われた。
「りずむ」で考えるんじゃなく「役で考えろ!!」と何度も言われた。
「演じる」時に、「自分」を捨てろ。です ←捨てれないんですよ〜。笑
どこまでも、私は「私」なのです。
「役で考える?」って何だろう「?????」ってなるんです。
だから、私は、芝居は出来ない。
そして、その「役で考えたり、動いたり」できる、俳優たちをとても尊敬している。(「全く別の生き物だな〜」と思いつつ、憧れと尊敬を持って見ている。)
アーティストとしては、どこまでも、何があっても、誰が何を言おうとも、「私は私」でいられる事は、強みでもあるが、
常に「我」は二の次、三の次で、
あるいは、「我」は、一生、どこかに、置いてきて、
役にのめり込み、役になりきり、役で感え、役で動く事ができる「役者さん」という生き物への、尊敬と羨望と憧れは、もうずっと、長い事、持ち続けている。
さておき、
私が「演技ができるかどうか?」とか、
私が「俳優になりたいかどうか?」とか、そんな事じゃないです。
そんなことは、相当、どうでも良くて、それが「原因」ではないです。
ただ、あまりにも、素敵な、中年男性6人の、
カッコよすぎる「生き様」を見て、相当羨ましいと思ってしまったし、
自分の「生き方」は、コレでいいのか?と考えさせられちゃった事が、ストレスの原因です。
今は、そうしておきたいのです。
ラクして、ノゥノゥと生きていたい。
何も、成し遂げないけれど、ツラい事も少なめで、生きていたいのです。
前にも書いたように、65歳くらいから、じわじわ頑張るから、しばらく許してください。
とか、思ってる。
ラクして、だらだら生きてることに、罪悪感があるんだね。
よし、出たかな? ストレス。
追い出したかな? モヤモヤ?
やれやれ。。。。
りずむK

カッコよすぎ!!!!!
ゼェゼェ。