日々の事、犬の事、絵日記とか、たまに、ライブについて、とか、思いのままに書きたいと思います
三日坊主のつもりで始めた絵日記、いつの間にか、4年目に突入です
何卒、なにとぞ  りずむK

  • JLY
  • 29
  • 2019

「人生のセンパイ」と言う名前の「悪」。

...

完全に、落ちました。 


 

さてと、左目は完全に落ちました。

心の凹み方は、尋常じゃなし。

そこに「はい!出ました」と言う「人生のセンパイのご意見」的な「良かれと思って」の「暴言」な。

正直「良かれと思って」と思って、とよく言いますけど、もう、こう言うのは、はっきり言って「ただ自分が言いたいコトを言いたいだけ(SNSの承認欲求と同じ)」で、

更に「人生のセンパイ面」する角度の切り口で来るこのメールは。「老害」と言っても良い。

(年配の人で、SNSに振り回されてる人、SNSのマナー悪いしね。)


 

長い「良かれと思ったメール」の抜粋はコレ。(コピペです)

 
Rhythm-chan、まだ会ったこともないおじさんだけどね……

あなたのこと、心配してます。

【左目のまぶた】のこと、正直よく分からないですが、じっくりと時間をかけて治すことも考えてほしいな。

バイト、コンサート…ライブなど一時完全停止。

何かを犠牲にしなくてはならないことも、人生にはあるでしょ❗


 

〜「心の傷をえぐってきますね」ポイント〜

1)まず、私に会った事もなく、瞼のコトも解らないのに、何を言いにきた?

2)バイト、コンサート、ライブは一時停止????

5年間、ずっとオペと入退院の連続で。ありとあらゆる「可能性のあるオペ」に挑戦して、全部が失敗に終わって、今があります。

「治す覚悟を決めた5年間の休業」の後に、「私の今」があります。

 オペの傷跡と後遺症だけを残して、1個も治らなかったけども、それでもその体と付き合って行く、と言う今があります。

そして「たった今」歩き始めた感じですが、何を「一時休止せよ?」と言ってるんですかね????? 

3)「何かを犠牲にしないといけない時も、人生にはあるでしょ?」と言う「上からの」アドバイス。

取りあえず、本気で、治すつもりで、脳に穴を開けるとか、頭蓋骨を削るとか、ペースメーカーを埋め込むとか、目の周りを何度も切除するとか、

文字通り「体を切り刻み」やってきたコトが、全て失敗に終わった人に、

これ以上「何を犠牲にしろ」と????? 

これ以上「医者に行って、実験台になれ」と???????  

結局は、言いたい事を言いにきただけで、1個も「読んでない」ってコトですよね?

私のコトを知らず、ジストニアのコトも知らず、特に読もうともせずに、(特に知ろうともせず)

「とりあえず、自分の意見を言いに来る」それは、もう、ただの「自己主張(承認欲求)←SNSの弊害」で、思いやりでも何でもない。

と、私は思います。 


 

この後、この方の「僕は解ってる」「人生のセンパイ」風のメールは長々とつづき、(1個も私の事を知らないのに?)

メールの最後の、極め付けが、コレです!!!

「とりあえず、左目に【眼帯】して…社会と接触してみたら!?

どうかな?(笑顔マーク)」

もう、この一文には「殺意」さえ覚えます。

一昨日から、注射が失敗だな、って解って、どんどん、目が開かなくなって、

ライブは今週末に迫り、

一念発起して、始めた接客業もあり、

1歩でも、半歩でも、前に進もうとしてる時に、顔がコレですから、相当に、今まで以上に、凹んでいます。

この「精神的な凹み」が「眼帯1個」でかたずくならば、15年以上も苦しんで、脳に穴を開けたり、胸にペースメーカーを入れたり、顔を何度も切ってオペをしますかね???????!!!!(怒!)


 

「言いたい事」を言いに来るならば、

せめて、多少なりとも、相手を知ろうとしませんかね? 

「写真投稿サイト」(インスタ)に投稿して「いいね!」もらおうとしてる訳じゃないんですから。


 

〜私が、この方に、伝えたい気持ち。〜 

私はSNSには、本文は一切、載せていません。

世の中、SNSが全てではありません。

「ジストニアブログ」は、ジストニアに苦しみ、向き合ってる人々と、自分自身の為にやっています。

何か、ご意見があるならば、せめて読んでから、言っていただきたい。

先日、70代の知り合いの女性が、顔をぶつけて、目の周りが青くなり、彼女は「その顔が恥ずかしいから」と、1週間、家を出ませんでした。

「70代の専業主婦の女性」であっても、青あざ1個で、そんな悲しい気持ちになる。

年の問題ではないですが、40代の「舞台に立つ事を生業」にしてる女の、「片目が醜く潰れた状況」の悲しみは、推してしかるべき?ではないでしょうか?

ジストニアは、今のところ「治療法の見つかってない難病」。

それでも、私は、心と体の耐えうる限りのオペを試みて、全部が失敗して、

多くの人が「ジストニアで死にたい」と言ってる中でも、

(私も、そう思ってしまう時もありますが)、

それでも、生きて行かないといけないと思って、しっかり生きてるつもりです。

そして、生きてる事を確かめる為に「たまにライブ」をやって、

せめて、美味しくご飯を食べる為に「接客業」を始めた。

働かないで飲むビールより、働いて飲むビールの方が、美味しいじゃないですか? 

色んな事を諦めていく悲しさの中でも「1杯の美味しいビールを飲む」、と言う、人生を明るくして、生きていく努力を、少しづつだけど、してるつもりです。   

ただ、もう「医者の実験台」になるのは、私はギブアップです。

何を持って「人生には犠牲が必要」と言われたのかよくわからないです。  

不用意な発言により、より一層、悲しい気持ちになり、必要以上に、相手を傷つける、と言う事をご理解ください。

生意気を申して、申し訳ありません。

とか、です。

 


 

「ジストニアのコトなんて知らないし、知りたくもない!!!」であれば、それはそれでいいんです。 (もっともなご意見です)

「私を憐れんでください!」では全くないです!!!←むしろ、憐れまれたら最悪。  

知りなくなければ、それでいい!

知ろうとしても、理解し難いのが「難病」の難病たるゆえんだろうし。

ただ、言いたい事を、上から目線で、人に放り投げて来るならば、せめて相手を知ろうとしてからにしてください。

って事です。


 

さて、私は、これから、最低1ヶ月半は、片目の生活。

「眼帯」?フザケンナ!!!!! ←怒りが、じわじわきてます(笑) 

そんなのしてたら、ライブを見にきた人が、気になっちゃって、楽しめないだろう?

接客してたら、毎回「どうしたの?」って聞かれるだろう?

もうちょい、考えたら? 言う前にさ?

里朱生K

左目、アウトです。 

前髪、切ってなくてよかった。  
隠して、生きてく。 

どんより、、、、。。。。。。。。。。。。。。。。。