日々の事、犬の事、絵日記とか、たまに、ライブについて、とか、思いのままに書きたいと思います
三日坊主のつもりで始めた絵日記、いつの間にか、4年目に突入です
何卒、なにとぞ  りずむK

  • AUG
  • 20
  • 2016

「治るかもしれない」という、複雑な心理。

...

少しも、無理してない、今。


 

実は、この1週間くらいの間に「目が治るかもしれない」と何度か思った。

※ 2回目のオペからも、明日で1ヶ月。

※ この1週間、「アレ?目が楽に開いてる」と気づくコトがしばしば。

※ 頑張らないで、目が開いてるだけじゃなく、継続して数時間、目のコトを忘れるコトもしばしば。

※ 「希望的観測」はやめたいけど、某外科の先生が言ったみたいに「外科のオペの成果は、4〜5ヶ月」は様子を見る、が正解なのかもしれない。 (まだ、うまくいったとか、行かないとか、決めつけない)

 


 

目が治る、治らないは、さておき。←まさかの「世界はコレ中心に回ってる」だった、案件をさておく。

「治るかもしれない」と思い始めた時から、すごい恐怖心が、、、。

※ すっかり怠けた2年間&もうすぐ44歳。

※ また、働くのか、、?という恐怖。

※ 「何度でも、立ち上がれるか?」と言ったらそうでもない。




 

〜これまでのゾンビの如く「転んでは起き上がった」件〜

1、29歳〜30歳 卵巣癌&抗がん治療

※ 抗がん治療の後、家から駅までの10分間の徒歩だけでヘトヘト。

※ 卵巣をとったから、生理がとまって、更年期障害の症状も出る。

※ 全身の免疫を抗がん剤で殺しただけでなく、全身の筋力も衰えまくり。

※ でも、若かったから、元気いっぱい、やる気満々。

※ ガンをきっかけに帰国したから「これから日本でやるぞ!!!」という気迫もあった。

※ ジムに通い、せっせと食べ、ガシガシ練習して、バンド活動も始めた。


 

2、33歳〜34歳あたり、腰痛に倒れる。

※ 「腰痛」=「うつ病」のサインの1つ、と気づいてなかった。

※ 「ぎっくり腰」くらい、プレッシャーだらけの世の中、誰だってある。

※ でも「ぎっくり腰の恐怖」を抱えながら、舞台に立つのを繰り返した挙句、恐怖に負けて「休業」へ。(逃げた)

※ 「休業」したら、ぎっくり腰は悪化(「ぎっくり腰のセオリー通り」)

※ 腰が悪くなるばかりか、呼吸が苦しくなる(息ができなくなる→パニック→パニック障害)とか、首に激痛とか、色々と発症。

※ 1年くらいかけて「腰痛のシステム」を学び、克服。→復帰

まだ、やる気あったので、気合で復活。

※ もう「ぎっくり腰」にならない訳じゃないけど、システムを理解したから、恐れてない。

 


 

3、眼瞼痙攣の発症

※ 腰痛で休んでいる間に、突如「目の痙攣」が始まった。

※ 色々、発症していたので「ウツのサインの1つ」と勝手に思っていた。

※ 目がしょぼしょぼして、勝手に「ギュッギュッ」って強くつぶる(例→ 石原慎太郎)

※ 眼科を渡り歩くコトも始める。


 

4、36歳辺りから、完全な「うつ病」に突入

※ 最初、不眠症。

※ 次に、食べても、食べても、体重が減り始める。

※ リハが辛い、仕事が辛い、けど、まだ笑ってる。

※ 何が起きてるのか?解らない。

※ 第一回目の「東京タップフェスティバル」に出演。

※ 今、写真を見ると、笑ってるのが不思議。

※ 舞台に立つのが、怖かったのは覚えている。

※ 他の出演者とも、ほとんど会話できず、。

※ そのフェスティバルの後は、リハをしても、振り付けを覚えられない。

※ 何回やっても、覚えられない。

※ 周囲に謝り続ける日々。

※ 全ての予定をキャンセルする決意。(逃げた)


 

5、「完全なる、うつ病トンネルの中」

※ そこから1年は、何もできない「真っ暗闇のトンネル」

※ 食べれない、眠れない、笑えない、泣けない。

※ ただただ「死にたい」と思う。

※ カウンセリングを受けながら、日課の「犬の散歩(久)」だけを、続ける。

※ もっと「日課」があれば良かったけど、仕事以外、完全に無趣味。

※ 「地獄」とは、このコト。

※ ある日、突然「トンネル」から抜け出した。

笑える、泣ける、食べれる、生きてる。


 

6、「働く」コトへの意欲を示す。

※ ずっと、仕事が趣味だったから、やっぱ、働きたいと思う。

※ バイトを探す。

※ まだ、ショービジネスに戻ろうとは思わない。 

※ 和食の店で働く。(38歳〜40歳)

※ バイトは楽しかった。

※ 働く喜びがある。

※ 多分「バイトだから」毎日、怒られても、平気。

※ でも、結局、一生懸命、働く。←ゼロか百の人。

※ 2年間、働いた。

※ 「コレでいいじゃん」と思う。(楽しいし、楽だし、ちゃんと稼げるし。)

※ honest living (まっとうな生き方?)とはこういうのじゃないか?と思う。

※ でも、周囲の応援もあり「週に1回のクラス」のみ復活。


 

7、本業への復帰。(39歳くらい)

※ 週1回のクラスをしばらく続ける。(バイトも継続中)

※ 3年間、1回もタップシューズを履かなかったので、生徒さんと、一緒に「基礎練習」をしてる感じ。(リハビリ)

※ そもそも、腰痛(云々)辺りから「練習しない人」だった。

※ だいたい、本番とリハ1回くらいしか、しなくなってた。

※ 故に、ただでさえ「加齢」と共に「技術」は衰えるのに、もともと「たいした技術なし」

※ 徐々に、友達のライブの「ゲスト出演」に声をかけてもらう。

※ 舞台に立つと、やっぱ「楽しい」と思ってしまう。

※ ショービジネスへの「欲」が出はじめる。


 

8、本格的に復活

※ 欲が出はじめた、私。

※ やっぱり「自分のライブ」をやりたくなる。

※ 「企画」

※ 「制作」

※ 「練習」

※ 「リハ」

※ 「人間関係」

※ 取り戻すコト、山積。


 

9、本格的に復帰から、1年〜2年の失敗。

※ 3年間のブランクの後のライブから学んだコト。

※ 「ボケてる!!!!!」

※ そもそも、怠けていた「技術」はおいといて、

※ プロデュースの感覚がボケてる。

(人選、方向性、ブレてはいけない「芯」がブレてる)

※ ライブ(生)の半分は、インプロ(即興)

※ ライブ(生)の半分以上は、お客さんとの対話。

※ なのに?「パフォーマーとしての感覚(俊敏な判断、お客さんに伝えるパワー)諸々、ボケてる!!!!

※ 「そこは、リハビリ期間」と思うとしましょう。

じゃあ、「本番でリハビリしていいのか?!!!」(ダメです)


 

10、じゃあ、コレからどうする?

※ 目が治ったとして、また始めるとする。

※ 絶対に私は、また諸々「ボケてる」

※ 前に色んな人に「りずむちゃん、そんなコトまで自分でやらないで、若い人にやらせなよ」と、沢山、言われた。

※ 確かに、全部、自分でやると、精神的な疲労は激しい。

※ でも、企画、制作、雑用を全部自分でやる、メリットもある。

※ 「見える」んです。

※ どんな、お客さんが来たか?(義理で来たとか、付き合いで来たとか)

※ なんでもいいから、ライブに来てくれたら良い。

※ そして「リピーターになってくれれば」の話です

※ 以前の「復活ライブ」の時、そして、今回も「復活した場合」、予想がつくコト。

※ 「復活ライブ」はご祝儀相場。(心配しなくても、人が来る)

※ 普段は来ない人も来る。初めてタップ見る人も来る。

※ だから「ご祝儀」とかでなく、むしろ「絶対に良いクオリティーじゃないとダメ」なんです。

※ なぜなら、過去の「復活ライブ」から見えてるコトは、「リハビリライブ」で、初めて、私のパフォーマンスや、初めてタップを見た人は、2度目は来ていない!!!

※ だから「絶対に、リハビリライブ」は見せちゃダメなんです。

※ じゃあ、こっそり、ジャムセッション通い(人前で踊る練習)とか、ちょこちょこ「ゲスト出演」して、「1曲、入魂」を重ねるとか、、、、、とか、、、とか、、、、

 

 


 

そういうコトです。

目が治って、また立ち上がるとは、そういうコトです。

そして、ソレをやり始める頃の私は、多分45歳くらい。

(そして、その頃、やってくるであろう、更年期障害、、)

そうでなくても、舞台に立つのは、いつでも怖い。

25年やって、尚、まだ、

「ここで、頭、真っ白!!!」っていうのやりますか??

というくらい、しょっちゅうやる。←あがり症。

ソレを、もう1回、1からやり直す、気力があるだろうか?

気力があれば、体力はついてくる。(と、思う)

あれだけ、

「目が治れば、なんでもいい!!!」

「できないコトをひがまないで、できるコトに感謝する!!」

と、思い続けてきたんだから、

今のうちに、他にできるコト、やりたいコトを探そうかな?と思ったりする。

「治るかもしれない」と、思い始めた途端、湧いてきたのは「希望」じゃなくて「不安」だった。

つくづく、私は、強欲で贅沢だ。

根性なし、りずむK。

(そんなに、何度も立ち上がれない、、)