- AUG
- 6
- 2018
村上春樹がラジオで語る「下半身で文章を書く」件。←ちょっと違う(なんか、違う響きになったw)
村上春樹が、珍しく、というか多分、初めてラジオのDJをつとめて話題になったりしています。
ラジオの中で、語られた事は「彼と音楽」の関係。
私は、一時期、1冊、読み始めたら、止まらなくなって、
30冊くらい、村上春樹を読んだ。(そして、辞めた。)
「好き」というのではなく、
「嫌い」でもなく、
ただただ、止まらなくなって、読んだ。
1冊、黙々と読んだのに「え?文学ってこういうの?」と、
全く解らなかったので、2冊目を手に取り、
2冊目も、黙々と読んだのに「ンンンン????」ってなって、
3冊目を手に取り、
という具合に「黙々と読む。」が続いて、
「最後の砦」的に、恋愛小説ならば???あるいは???とか思って
「ノルウェーの森」まで読んで、
これ?恋愛小説なの????? ってなって、ギブアップした。
(少しも「文学」を理解できない事、この上なしw)
そして、ラジオで語られたのは「彼と音楽」でしたね。
「どちらかと言ったらば、音楽から小説に入った。」と語る彼。
もともと、小説家になるつもりはなく、
音楽の仕事をしていて、
誰かから、小説の書き方を学んだというよりも、
音楽の、リズムとか、ハーモニーとか、インプロ(即興)とかから、フィーリングを受けて、小説を書いてる。
とか、言ってた。
あとは、
「僕の文章が読みやすいと思った人は、僕と音楽的に通じてるんじゃないか?と思う」
とかも、言ってた。
そういう事なのかな?
私が、彼の小説が、好きでも嫌いでもなく、
しかも「を〜、文学、解らないわ〜!」と言いつつも、
ついつい25冊とか、30冊とか、読んじゃったのは、
そういう事なんだろうか?
「音楽」と言いつつ、明らかにジャズだしね。
(彼のバックボーンは明らかにジャズ)
ついつい、スイスイ読んじゃう割には、
そして「文学」が解らない割には、
多くの場面での「音」とか「音楽」の描写が解りすぎて、
「本を読んでるのに、音がうるさい」という事が多々あったのは、よく覚えている。
場面、場面で、流れている音楽が、解りすぎる。←音がうるさい。w
まぁ、そんな訳で、
村上春樹が「文章の書き方を音楽に学んだ」というのは、
「あ、そう。」と、
多分誰も驚かない所ではないか?と思います。
それよりも、私が興味深かったのは、
ものすごく、興味深かったのは、
「文章の書き方が上手くなる方法」を問われた時に、彼が言った事です。
「誰も信じないと思いますが、下半身をしっかりすると、良い文章が書けます。だから僕は、もう何十年も走っている」
とか言ってた。
「下半身(足腰)」がどっしりすると、良い文章が書ける、という事で、
「地盤」とか「土台」という意味の比喩で「足腰」とか言ってるのではなく、
本当に、ただ「足腰」を鍛える。(鍛えている)
何十年も、フルマラソン的な距離を走っている、と言っていた。
それまでの「音楽、云々」とかよりも、何よりも
「ソレは、ちょー解る!!!」と思った。
あ〜、はいはい、うんうん、そうそう、御意!!って感じ。
全く、説明できないけれど、
なんだか知らないけど、タップダンスという職業を選んだ私は、
特に、ずっと「足で表現」して来たと思うけど、(もうすぐ30年)
何か、色々考えたり、色々と悩んだり、
葛藤とか、模索とか、色々あるようでいて、
「ただ、黙々と足を動かしたらば、あれ?葛藤は?あれ?模索は?」となる。
「すっ」と、物事が、
行くべき場所に収まり、
あるべき姿になる。
みたいな。
ライブをやる時に「ダイナミクス(抑揚)」をすごく重んじる私。
ダイナミクス、すなわち「起承転結」のストーリー性。
1コーラスの中の、ダイナミクス、
1曲の中の、ダイナミクス、
ライブ全部を通しての、ダイナミクス、
「起承転結のストーリー性とメッセージ性」は、
頭でぐちゃぐちゃ考えたり、言葉でくちゃくちゃ説明すると時間かかるし、伝わらないし、疲れちゃうんだけど、
ソレこそ「下半身がどっしり」してると、すぐできるし、すぐ伝わる。
いや、やっぱ、なんか、全く上手く説明できないけど、
上に、くちゃくちゃ書いた、説明も、ちょっと違って、
ただ「感覚的」に「下半身がしっかりすると良い文章が書ける」に対して「ソレな!超わかる」と感じただけ。
初めて、村上春樹が言ってる事と共感した気がする。笑
本(文学)は1冊たりとも、理解できなかったくせに。
りずむK