- SEP
- 29
- 2020
「先立たれることか?」「生きてるコトか?」「できないコトか?」〜何がツライのだろうか?〜
とても、ツライです。
私にとって、何がどうツライのか?解らないけども、
途中でやめるかもしれないけど、書いてみる。
一番最初に出た言葉は「死んじゃダメ」。
2月に中国のコロナのニュースが流れて、
3月の初旬には、日本にも影響が出てきた頃からわかってた。
例えば、元気な老人。
(60歳でも、70歳でも、80歳でも、90歳でも)
「この年まで、病気もせず、休まず働いてきました!!!!」とか。
※ TVで「コロナに負けるな!」と報道され続ける、店主とか、営業主とか、農家の方とか、みんな!
TVを見ていて「危ないな!」って思う。
危険1)怪我や病気、その他、経済的なショックとか、どんな「暴落」にも免疫がない人の方が、
危険2)免疫がないぶん、急に「ある種の壁」にあったった時に、とてもモロい。
「そんなにコロナに負けるな!」って言い続けない方がいいんじゃないか?ってずっと思ってた。
「ライブハウスのクラスータ」に始まり、
飲食店の危機、観光業界の危機、
もう、こうなったら「どんな業種も危機」に決まってる、全日本(世界)的な、危機。
「言っては、いけないんだろうな」と思ってたけど、
来年以降(2021)、自殺者がどんどん出る、って事も解ってた。
「No Music , No Life」 とか 言わない方がいい。
音楽がなくても、ダンスが無くても、演劇ができなくても、人は生きていかないといけないんじゃないか?と、私は思っています。
※ 何がなくても、「人生」はつづくよ。
No tap, No Life とか
No dance , No Life とか
No Music, No Like とか
言うことが「かっこいい」と思ってるんだろうか?
※ しかも「人生をかけてるって言うほど、やってないよね?」と言う、大したことない人ほど、やたらに、その言葉を言ってる感じも強い気がします。
因みに、私は「人生をかけてる」ほど、やってないから、そんな言葉は絶対に、使わない。
※ 結局「ノリ」なのだろうか?
※ でも「ノリで生きてる!」って言えない様な人ほど、言ってる。
なぜ?「No Baseball No Life 」とかは、言わないんだろうか?
※ スポーツはそもそも、「選手の生命」が短いからか?
※ 「高校野球」で野球人生が終わる人も、きっと少なくない。
※ その後「人生終わりです」だったら、困ります。
だから、「ノー野球、ノー人生」とか言わないの?
「私は、別に大丈夫」ってコトも、最初から解ってた。
29歳から、だいぶ「諦めて」きた私は、
「まだまだ、諦めない!」と思って、色んな手術に挑戦したけど、
病気が治らないどころか、右足も動かなくなったし、
1個、1個、諦め、
1個、1個、手放し、
1個、1個、希望を無くしていっても、
別に「ただ生きてる。」
むしろ、長生きしたい気持ちだけは、無いけれど、
何はなくとも、与えられた命を、ただ生きている。
「孤独か、孤独じゃないか?」と言ったら、ひどく孤独だけども、別に、ただ生きてる。
ツライのは、なんだろうか?
誰が、逝ってもツライ。
知ってる人でも、知らない人でも、
後に、残されるのは、ツライ。
私より、若い人でも、人生の先輩でも。
むしろ、次は、私で良く無いか?って思うのに、
「また、先を越された」という印象を、強く持ってしまう。
でも「自分で命を絶ってはダメ」という常識がありすぎる自分も、ツライ。
「私は、自分で命を絶ったりはしない。」という意味で「大丈夫」なのだけれど、
これから、もっと、もっと、「芸能人」に限らず、増加するであろう、自殺者のコトを思うと、ツライ。
何は、無くても、人生はつづく。
何が、あっても、人生はつづく。
そのツラさを、生きていくコトが、私の人生な気がする。
(きっと、誰の人生もそうなのではないか?って思う。)
もう、イヤだけど、人生はやめないし、人生は、まだまだ、まだまだ、つづく。
そして、それが、ツライ。
まだまだ、孤独な旅が、ずっとづつくコトがツライ。
りずむK