日々の事、犬の事、絵日記とか、たまに、ライブについて、とか、思いのままに書きたいと思います
三日坊主のつもりで始めた絵日記、いつの間にか、4年目に突入です
何卒、なにとぞ  りずむK

  • SEP
  • 30
  • 2017

「診察室」という「密室」の怖さ。〜もう、溜めるのやめたい〜

...

 

どこから書いたらいいのか?

でも、もう考えすぎて、落ち込みすぎて、また考えすぎてるから

まず、書いてみる。

とりあえず、9月の1ヶ月間で私が会った人は、宇津木先生だけ。

宇津木先生、及びに、その病院のスタッフさん。

ドクターやスタッフの方とは「会った」というのは不適切。

「診察」や「施術」を受けただけ。

それ以外は、朝の犬の散歩で、行き交う人。

「おはようございます」とか

「涼しくなりましたね」とかいう挨拶のみ。

それが9月の人とのふれあい。

いづれも、人のふれあいとも呼べない、会話という会話でもなく、そしてただ孤独。

この3年、病気療養に入ってからずっとこうだ。

もう、3年ずっと、こう。

いろんな人に「犬いるじゃん」って言われるけど、

そうだろうか?

犬はいる。

久とマメはいつもいる。

むしろ、彼らがいるから、生きていられる。

この上なく私を必要としてくれて、

私も彼らを必要としている。

「犬いるじゃん」?。そうでしょうか?

犬いたら、寂しく無い?

犬いたら、希望ある?

犬いたら、生きていける?

犬いたら、他に何もいらない?

そうでしょうか?

とりあえず、この1ヶ月で私が唯一、人と交わした会話がコレ(以下)です。

孤独感に涙が出て、しょうがない。。。。。


 

宇津木先生は、突然、いい出しました。

Dr「無責任と思われるかもしれませんが、、、」

りずむ「はい?」

Dr「タップダンスやった方がいいですよ、絶対!!!」

りずむ「それが自分の活力とか元気になるなら、やってみようと思って、少しだけ仕事を始めました」

Dr「それはいい!絶対。どんどんやった方がいい」

りずむ「そんなに、仕事と呼べるほどのことはできないかもしれないけども、そして、ツライのはツライので、そんなにバリバリはできないですが、、」

ーーこの後、しばらく30分くらい、延々と話は続くーーーー

「なんか、私、責められてる。」と感じて、猛烈に言い訳をしている。

先生は、最初に「無責任かもしれませんが」と切り出したけど、「無責任」って言うか「無神経」だな。

多分、この話は、そもそも、先生的には、私を励まそうと思ってくれていることはわかる。(それ以外の、何ものでも無い)


 

ものすごく、責められてると感じるから、必死の言い訳。

1)わかります、全盲の方でも、お仕事なさってる方はたくさんいる。

対し、私は、全く見えない訳じゃ無い。とか

2)世界のトップレベルのタップダンサーで片足のタップダンサーだっている。

対し、私は、目が開かなくてツライと言うだけで、足は二本アル。とか

3)ジストニアで右手が使えなくなっても、左手だけでプレイすることを選んだ人もいる。

よくテレビにも出演していて「左手のピアニスト」として活躍してる、とか。

知ってるし、何年も考えてきたし、今だって考えない日は無い。

「必死で毎日、自分に出来ることを、考えてるから、責めないでください!!!」

と言う思いを先生に説明する、、、、的な????


 

「なんなんだ?この時間???」って思い始めた時に先生がトドメを打つ。

Dr「じゃあ、じゃあ、じゃあ、コレは???? コレは????」

「もしも、神様が現れて、あなたに、神業のタップを授けます」と言います。

「タップ、神業が手に入るけど、ただ少し、目が痙攣しますよ」と言います。

「りずむさん、どっちを選びますか?」

りずむ「はぁ??????????!!!!!」

(迷うことなく)「目を直してください!!!!!」

なんなんだ?????

その質問??????


 

先生、しばし(数秒間)唖然として、硬直。

多分、こう言うことだろう。

先生の中では、答えは当然

「神業のタップが手に入るなら、目の痙攣なんて、なんでも無い!!!」

その返事を聞いてから、

そう考えたら目が多少開かないくらいなんでも無いじゃ無いですか?とかで、私を励す予定だったんだけど、

スタートが違ってしまったから、先生フリーズ。とか???

私は私で、トンチンカンな質問に、唖然呆然。

「もう、寝てもいいですか?」と言う現実逃避。(←先生と私と看護師しかいないのに、寝たふり)とか。

「神業のタップ」ってそもそも何?

「技術の話」をしてるんだった、それは練習で手に入る。

「もっと高い技術」の話をしてるんだったら、それはスポーツと同じで、若い人が持ってるから、私は持ってなくてもいい。(私もかつて、持っていた、若くて、高い技術)

そして、いづれにしても「技術は衰える」ものである。

だから、それは若人が手に入れて、持って入れば良い。


 

結局、なんなのか?って言うと

「価値観の相違」ってことだと思う。

先生は、先生なりに励まそうとしたけど失敗した。

私は、もう、聞きたく無いから、先生の目の前で狸寝入り、、、みたいな。

改めて、そう言った「私にはトンチンカンに思える」見解が出てくる時点で、

「外科医」にとっては「神業の技術」ってモノが、何はさておいても手に入れたいものなんだろうな?というカルチャーショックも受けた。

ソレが手に入るのならば、目や手や足に多少の問題が出ても、そんな事、ドーーゥでもいいじゃん???

と言う、合意を得る予定だったんだ、先生は、多分。


 

「No Music, No Life 」とか、

又、それと同じで「No tap, No Life」

とか言う人、たくさんいます。

私にとっては「まず人生!」。

何より先に「人生(ライフ)」ありき。

それがあってこその「音楽」とか「タップ」なんです。

そうじゃ無いと、表現したいものも、

奏でたい音も、歌いたい歌も、何も無いので、

それで、神業のタップがあったところで、何に使うの?

ってなるんです、と言う事を、先生に、静かに伝え、

おそらく「話が全く見えないな????」と思われ、

「人間の価値観」的なことは、

それは外科の先生のお世話になる事じゃ無いから、

「ただ見えないだけ」ではなく「常に光と音がめちゃめちゃツライ。光と音が何よりツライ」と言う状態だ、と言うことは、ご理解ください。

となって、この話は終わりになった。

(別に議論すべき事じゃないし、全く持って議論の意味なし)


 

宇津木先生の場合、ただ、本当に励まそうとしてくれたのは伝わった。

伝わったけど、

「神業の技術」に方を向いてる外科医と、

全く別な「表現」の方向を向いてる「アーティスト」の

価値観の相違だと思う。

長々、書いたけど、1行で言えば

「外科医とアーティストの価値観の相違」で終わる話だ。


 

これからもボトックスを必要とすれば、宇津木先生を頼るし、それは先生の経験と腕に頼るべきもので、信頼してお願いすることだ。

ただ、1個。

私が、ここまで、何か思いつめて、溜めてしまった理由。

女子医大で全てが失敗して、宇津木先生を頼った時に、先生にこれまでの経過として「ジストニアブログ」を見せた。

宇津木先生から、それを見た上で、1通のメールがきた。

「りずむさんの表現の自由を阻害することがあってはなりませんが、診察室での話は、できるだけ私とあなたの間に留めていただけると、私も自由な発言がしやすいです」

と、釘を刺されていた。

(先生は釘をさしたつもりがなくても結果そうなる)

その時は、その時で、

「なんでも書かれたら、医者もやりにくい事もあるよね」とは思ったものの、

いや「診察室」と言う密室の中で、

「無責任かもしれませんが」とか「無神経な発言」をしてしまうのであれば、

しかも「外科」の領域を逸脱した意見とかを自由に言う必要は無いのだから、

そして「外科」の領域の発言に対しては責任を持っていただかないといけないので、

逆に「記録に残されちゃまずい事を、医者は診察室という密室で言ってはいけない」という事じゃ無いのかな?

と強く思いました。

なんだか、とてつもなく追い詰められたし、

先生が励まそうとしてくれてるのはわかったけど、価値観が違いすぎて、

しかも、今月、話をした人間が、宇津木先生1人 (←これは先生のせいじゃ無いけどね)

という、思いで、書いて見ました。

別に書いたからと言って、宇津木先生の「外科」の能力に疑いを持つという事ではなく、むしろその逆だから、書きました。

追い詰めないでください。

普通の患者さんだったら、先生に上から、ガンガン言われたら、凹むだけ凹んで、自分を攻めるだけ攻めて、自殺とかするかもよ? とかあり得る。

私は、ある意味、患者のプロなので、そんなに「医者」のいう事を正面から受け止めない。受け止めないけど、凹む。

しかも病人というのは、会話をする相手が医者だけだったりするから凹むんです。

だから「無責任かも?」というくらいの事ならば、言わない方がいいんじゃ無いかな。

私は、この1ヶ月で唯一、人と交わした会話が「不毛地帯」だった事でより一層、悲しげになっちゃってますし。

あれだね、、、。

人と会えない、今。

なんだかんだ、このりずむKブログと、SNSだけで人と繋がっている。

あるいは、誰かが読んで、共感してくれれば、救われるのかもしれない。

りずむK