- MAY
- 22
- 2018
追記「山に登る」〜生きてこそ、冒険じゃないかな、、、。〜
昨日から今日にかけて、また考えた。
亡くなった、35歳の登山家のニュースも、一夜明けて、
彼の最後の姿が報じられたりして。
彼が、自分で最後の姿をSNSに投稿してたり。
彼が、自ら、残した、ユーチューブとか、
「僕が挑戦する姿を見て、感じて欲しい」的な(なんちゃら とか)
そしてニュースでの報じ方は、
「彼は最後まで挑戦し、メッセージを発信し続けた」的な。
違うんじゃないかな?
生きてこそ、じゃないかな?
と、私は、思いました。
35歳だよ?
「最後」も何も?
「冒険」って何?
私は、こう思いました。
「生きて行く」という事が最大の冒険なんじゃないか?と。
山に登ることも、身体的にも精神的にも、困難な事がたくさんあって、それを乗り越えて、山に登るんだろうけれども、
「生きて行く」ということは、もっともっと、そうなんじゃないか?って思う。
病気をしても、怪我をしても、
困難にぶち当たっても、
やりたい事がやれなくても、
辛くても、苦しくても、
登り坂の時もあれば、くだり坂の時もあり、
困難しかないように思っても、
あまりいい事がなくても、
あまり楽しくなくても、
仮に、10代、20代、30代と、上り調子で、
その後が、ずっと転落人生だったとしても、
それでも、やっぱり生きて行く。
40代の自分を知り、
50代の自分を嘆き、
60代の自分にうんざりして、
70代の自分を憂いても、
それでもやっぱり生きて行く。
登るだけ登って終わり、じゃなく、
登った分だけ、最後の最後まで、ちゃんと下山する。
それが、どれだけ辛くても、みんなそうやって生きて行く。
それが、最大の冒険なんじゃないかな?
そうなんじゃないか?って、私は思います。
私だって、今の45歳とか、
あと5年だけ生きて、50歳とか、
その辺で「人生が終わって良い」だったらば、
今の病気の苦しみも、
オペの失敗も、
目が開かないことも、
人前に、出たくないような、顔の痙攣も、
右足が麻痺しちゃってることも、
全部「後5年ね」と思えば、
結構「ぜんぜん行けるわぁ〜。困難ですらない」と思うからね。
だから、35歳で「登った登った」とか、
10本の指のうち、9本を失っても、まだ登った!とか、
ニュースによると「最後まで「発信」し続けた」らしき、
彼のメッセージは、
彼曰く、「これを見た人が、俺の挑戦する姿を見て、(なんちゃらかんちゃら)、、、、」は、
私には、少しも響くところが、ないかな? と。
感じる事が、あるとすれば、
「親より先に、死んじゃダメじゃん」とか、、、、かな?
「冒険」とは、一体?
一夜明けて、私は、思いました。
「年老いて、衰えてさえ、最後まで、生きて行く」事が一番の冒険じゃないか?って。
お爺ちゃんにも、お婆ちゃんにも、何一つ叶わないじゃないですか?
何一つ。
それは、爺さん婆さんたちが70年、80年、90年の歴史を生きてきて、
「人生」という困難極まりない冒険を、成し遂げようとする終盤にきてるからこそ、
私たちは、彼らには、何1つ叶わないんじゃないかな?
とか?
思うわけです。
りずむK