- AUG
- 7
- 2025
金子詔一と高円寺阿波踊り「ブギウギ高円寺」

「高円寺」と「阿波踊り」は切ってもきれない風物詩。
今や、毎年、何十万人も訪れる、高円寺阿波踊り。
私は、4歳からずっと踊っていた。
と、いうのも、父の英会話スクールは高円寺駅の真ん前。
父が言い出しっぺで、スクールの講師と生徒達が集まり「FIA連」を作った。
当時、父は竹を叩き、母は三味線を弾き、4歳の私は男踊り(ハッピ踊り)。
純情商店街の眼鏡店「ツバメヤ」さんは、「江戸っ子連」の連長さん。
江戸っ子連は徳島の「阿呆連」に指導を受け、我々は江戸っ子連に指導を受けていた。
「ツバメヤ」さんの看板娘、ゆきえとちさとは、『FIA連』で、私と一緒に、物心ついた時から踊ってきた仲間です。
※「江戸っ子連」は中学生から入れます。
※ 現在はツバメヤさんは江戸っ子連の会長です。
そもそも、高円寺を盛り上げるために、商店街の店主達が始めた、高円寺阿波踊り。
商店街の絆も強く、助け合って街を盛り上げていた。
父はイラストレーターのサミーと共同で「阿波踊り新聞」なるものを作り、当時、踊ることを頑なに拒否していた兄(太郎)が、駅前でその新聞を、50円で売ったりしていた。(昭和!)
「ブギウキ高円寺」という楽曲も残している。
40年ほど前でしょうか?
ねずめ正一が「高円寺純情商店街」を出す、ずっと前のお話です。
金子詔一「あるある」の1つですが、
「言い出しっぺは一番にやめる!」笑
ご多分にもれず、父は、早々に阿波踊りから、足を洗った。
1つには、本当はジャズが好きだったり、(毎週、日曜は、ジャムセッション!)
1つには、英会話スクールの講師も、生徒も、「英会話そっちのけ」で阿波踊りに夢中になった事とか、
1つには、「次から次へ」新しい、挑戦するのが父たったりとか、
そんな複合的な要素で、
父は、早々に阿波踊りは「踊る阿呆達の手に委ねた」感じでした。
我が家では、一番最後まで、踊る事をしぶって、10歳くらいでようやく始めた兄(太郎)が、54歳になる今でも、踊る阿呆を続けています。
さあ、今年も熱い高円寺の夏がやってきます。
踊る阿呆と、見る阿呆、そして父に思いを馳せる「高円寺阿波踊り」が来るよ!
りずむK