- AUG
- 15
- 2023
私のルーツ「高円寺阿波踊り」
私は物心着いた時から、高円寺阿波踊りで踊っていた。
多分、スタートは4歳だったと思う。
高円寺の商店街の活性化のために始まったという噂の「高円寺阿波踊り」。
当時は、商店街のメンバーや、駅周辺の住民が参加していた。
父は、高円寺の駅前で、英会話スクール「エフアイエー」を営んでいたので、そのスクールの講師や生徒で結成されたのが「エフアイエー連」だった。
当然、言い出しっぺは父であり、私も、右も左もわからない時から、踊っていた。
母が三味線を弾き、数年のちには、妹と兄も芋蔓式に強制参加して、
いつの間にか、言い出しっぺの父は、早々に抜けて、⬅︎父?!(笑)
母と子供たちだけが「おどる阿呆」となって、後世まで踊り継ぐ事となりました。(笑)
私は、高校の終わりまで「おどる阿呆」に夢中になった。
毎年、熱い夏を過ごし、大人も子供も一緒になり、1つの「祭り」を作り上げる事に夢中だった阿波踊り。
私は、高校2年の時から、ある日突然、「タップダンサーを目指します!」と言い出し、時間の折り合いがつかなくなって、阿波踊りはフェイドアウトしました。
そして、妹も抜け、、母もうやむやになり、、
一番最後に、イヤイヤ始めた、兄の太郎だけが、なんと!今も、阿波踊りを続けている次第です。(2023年現在)
でも、今、改めて、阿波踊りを客観的に見ると、、、、
「なんと美しくて、なんて壮大なスケールの祭りなんだろう?」と感嘆する!!
※ 私は、SNSの動画でしか、ここ最近の阿波踊りを見ていません。
それでも尚、、、、、
私が阿波踊りをやめて、30年以上。
当時から、壮大だった、高円寺阿波踊りは、どんどん成長して、
人の夢とか、
人のエネルギーとか
人の熱とか、
人のパワーをどんどん増強して、
「祭り」ってきっとこうなんだな、、、という
色んなものを吹き飛ばす、
色んな「悪」をも吹き飛ばす、「祈り」の力が絶大になり、
そして、エンタメとしても、数々の国内外の機会が、どんどん増えて、すごいパワーを持っている様に見えます。(素敵)
40−50年前の仲間たちで、今もなお、阿波踊りを続けている人々を尊敬するし、すごくかっこいい!
※ 初めて「兄の太郎(52歳)今も踊り続けてる姿」を尊敬したかも?笑
実は、言い出しっぺなくせに、一抜けした父も、そんな気持ちで「高円寺阿波踊り」と、その精鋭たちを、眺めているのかもしれない。
そんな訳で、なぜか父が、この映像を作りました。
「高円寺のプチ歴史」お楽しみください。
りずむK
動画)ブギウギ高円寺
作詞作曲 金子詔一 歌 金子晴美
追記)今年の「高円寺阿波踊り」連協会、台湾遠征の模様。
2分50のとこで、赤い鉢巻で踊ってるのは、兄です。笑
総長(?)の平野さん、かっこいいなぁ ⬅︎個人の感想です。笑