- OCT
- 12
- 2015
痛烈に効いた、ファンの一言(ありがとう)
私には、極少ない人数だけど、熱狂的な信頼できるファンがいます。その中の、一人の「痛烈」な一言は、私にすごい打撃を与えたけど、凄まじく感謝している。
今、私が「間違えないで」いられるのは、彼の一言のおかげ。
ファンの特徴
★ ライブやるよ〜、と言ったら、即答で「行きます!」と返事が来る
※ え?予定を確認しないでいいの?
★ 「もう、前の席キープしておくから、早く来ないでいいよ」と言ってるのに、オープンの相当前から、会場に来て、並んで最前列の席を取る。
※ なんか、くそ真面目。←自分で取ります!!!的。(笑)
★ 「恥ずかしいから、やめて!!」と思うくらい、色んな人に「りずむKの素晴らしさ」を言って歩く。
※ ある意味、神格化
その代表格である、MKという人がいます。
最近は、彼女もできて「さすが、MKの彼女!!」って感じで、二人で揃って、私を熱狂的に応援してくれていた。
私が、オペを終えて、3月に「おかえりライブ」みたいなのをやった時の事です。
私の足は、全然ダメだったから「行きます!」というお客さんには、「私は踊らないかもしれない」という旨をお伝えしていた。
基本「元気に退院した姿を見れたら良い」というお客さんが集まったというわけ。
MKも、当然「行きます」と言うから、「踊らないかもよ?」と伝えたら、
「良い時も、悪い時も見守るのが、真のファンです」と返ってきた。
ライブはひどかった。本当にひどかった。
私が、できないぶん、ポリ、みっちゃん、ケンジさんがめちゃくちゃ、頑張ってくれた。すごく頑張ってくれてた。
だけど、私がダメなぶん「ゆるく行きましょう」という空気はあったけども、全体が「悪ふざけ」っぽくなった。←自分的に許せない。
いつもなら、流れが悪かったら「するっと」、変える事ができてたけど、足が動かないと、それすらできない自分に驚いた。
でも、基本的にお客さんも「りずむさんの元気な顔みれて良かった」的な空気が、会場に漂っていた。
でも、悲しかったなぁ、私は。ポリ、みっちゃん、ケンジさんが、頑張ってくれて、楽しそうにすれば、するほど「自分のバンドなのに、中に入れない辛さ」は相当なものだった。
私の、個人的な心情はさておき、ライブの後、MKの姿が無い!!!
いつも、ライブの興奮が冷めずに、いつまでもいる人がいない!!!
まずい!!と思って速攻メール。
「挨拶できなくて、ごめんね。来てくれてありがとう!!」
MKからの返信
「次回は、1月の様なライブをまた、見せてくださいね。待ってます」
と、1行。「ガツん」と来た。
このまま、やり続けたら、私は大事なモノを失う!!と気づいた。
最低でも、オペの前の自分のレベルに達するまでは(または、別のやり方でも、そのレベルと同等と自分が認められるライブができる様になるまでは)ライブはやっちゃダメだ!!
さもないと、大事なモノを失う。という事に、気づかせてくれた1行だ。
日にちを置いて、MKに、あの1行、かなり来たけど、感謝っす。とメールしたら、
「生意気を言ってすみません。ただ、ありきたりの褒め言葉では、りずむさんのプライドが良しとしない、と思いました。いつまでも待っています」
と返ってきた。
「くっそぉ、わかってるなぁ!!!私が自分で気づか無い自分すら、理解している。」と、痛烈に感じながら、ものすごく感謝した。
最近、仲間たちが「老人ホームの慰問とかして、できる事を探して、少しづつ活動しませんか?」と提案してくれて、少し考えた。
小学校とか中学校、高校など、学校関係は、アメリカでも日本でもかなりやった。
これは仕事です。「子供に良いモノ」を見せたいから、お金出す人は、日本でもアメリカでもいっぱいいるのです。
子供には「本物」を見せないとダメだから、今の私はダメです。
じゃあ「お年寄りはいいのか?」と言ったらば、ダメだよねぇ?
ただ、考え方は変えないとダメ。
「良いライブをする」という事が必ずしも、お年寄りに良い、とは限らないので「お年寄りが楽しめる事を一緒にやる」という事を考えないと。そういうのが慰問だと思う。
それを、考えると「今の自分じゃ、やっぱりダメかなぁ?やったら、やったで落ち込むに違いない」と思う反面「何事もやってみないと」とも思う。
いづれにしても、何をするにしても、MKの
「ありきたりの褒め言葉じゃ、りずむさんのプライドが良しとしないと思いました」という言葉は、頭と心の片隅に置いておきたい。
ありがとね。MK。
りずむK