- NOV
- 17
- 2015
究極の自己中心〜パリのテロ〜
私の今の生活。「3歩、歩いて2歩さがる」どころか「3歩、歩いて4歩さがる」日々。
1月にオペをして、ジストニアである事を公表してから、もうすぐ1年になる。
私自身も、強くそう思うけど、周囲の人も
「もう病気の話と、病気を言い訳にして、自分の事ばっかりしか考えられない」という私に、うんざり!!!に違いない。
と思う。そりゃそうだ!!!
この前の土曜は、早朝から病院に行ったから、ニュースを見なかったのは、仕方ない、としよう。
夕方になって、フランス人の友人、2〜3名から「無事だよぅ〜。心配しないで」というメールが着てから、テロの事を初めて知った。
でも、メールをもらって、まず「え?なんの事?」と思って、テロの事を知って、無事で良かった!!には違いないけど、ひどいのは、
「そっかぁ。テロあったんだ。ふぅ〜ん」という、漠然とした、遠い世界の話にしか感じられない私。
私が、この数ヶ月で解った事。
「明日、起きたら、お散歩に行って、ヨガに行って、買い物行って、、」
とか、いっぱい計画すると、1個も出来ない事が多い。
だけど「明日はダメそうだなぁ。お散歩もダメかも。寝て曜日かなぁ?」と思っていると、
お散歩に行って、ヨガも行って、買い物も行って、美容院まで行って、家の掃除して、犬をお風呂に入れる!!!
とか、モノすごく、いっぱい出来たりする。
だから、寝る前にいつも
「沢山の事を望まず、1つでも何かが出来たら、その事に感謝する事が出来ますように」
と、祈るようになった。
人と比べたり、色々な願いとか、望みが叶わないと、ただただ、苛立ったり、人を妬んだり、恨んだりしてしまうから。
テロの翌日の日曜に「世界中が、パリの犠牲者の為に祈っています」というニュースを、いっぱい見た。
それなのに、その日の、就寝前の祈りも、やっぱり
「明日も、何もできなくても、せめて、お散歩だけは行って、久とマメの喜ぶ顔を見られますように。そして、それが出来た事に、感謝できる1日になりますように」
でした。
確かに、久とマメを幸せにしてあげられるのは、私だけかもしれないけど,
「世界中が、テロの犠牲者の為に祈ったり、何かしらのアクションを起こしている時に、君は、自分と自分の犬の事しか、考えられないのか?」
と、悲しくなる。←これだって、誰かの為に悲しいんじゃ、ないもんね。
ひどいなぁ〜。私。
まだまだ、まだまだ、この生活は続く。
皆さん、ごめんなさい。
りずむK