- MAR
- 20
- 2023
「窓際のトットちゃん」映画化に際し、お言葉を述べるわたくし。
「窓際のトットちゃん」が、初の映画化となりました。
今まで、映画になってない事が、不思議なくらいですが、
黒柳徹子さん曰く、、、、、
「本を読んだ方が、それぞれ感じたままに、心の中で、映像化するのがいいでしょう?」と思って、
過去の映画オファーは、黒澤監督をはじめ、全て断っていました。
とのこと
今だからこそ、必要な情報だと思います。
「窓際のトットちゃん」!!!!
①「発達障害」の子どもたち
ちょっと前に「発達障害の子どもたちに、タップのワークショップ」を頼まれました。
私は「いいよぅ〜」と安請け合い。
すごく「心身に障害がある子どもたち」が来るのかと思ったらば、
みんな、すごく活発で、心も体も活発で、
「日本人の子供でこんなことある?」と疑問に思うほど、「自由に動いて、自由に質問」して、
教える私は、素晴らしいな、、って思った。
ワークショップの後にも、
「ねぇ、あの子供達のどこが、障害者なの???」と、ずっと疑問に思って、聞いてたけども、
「学校や、社会がそう決めた!」という以外には、明確な答えは得られず。
② 友人の子供が「発達障害」と言われる。
その少し後のこと。
友人の息子が、学校で「発達障害」と診断された。
息子に、「おかしなレッテル」を貼られた親は、「きーっ!!」っとなる。
でも、その話を聞いた私は、
★ 息子さんは、ただ、学校の決めた「枠」にはまらなかっただけ。
★ すごく個性的で、大人とか、学校が理解できる「想像力」を超えた魅力を持っている。
★ 稀な個性で、他とは違う「異彩」を放っている。
そいういう「異物」を、学校は排除しようとしたりするよ?と伝え、、、
「ねぇ、窓際のとっとちゃんも、きっと、発達障害だよね?」と、言ってみた。
③ 世が世なら「窓際のトットちゃん」
そうなの。
最近は、やたらに「病名」をつけたら解決するみたいに、「発達障害」と言う名前を子供達にくっつけているみたいです。
「発達障害」という名前をつけて、「枠にはまってくれない」子供を差別化して、なんとか、「大人の勝手で、扱いやすくしてる」みたいな感じがする。
「窓際のトットちゃん」は、今の時代だったら、確実に発達障害と診断されたでしょう。
黒柳徹子さんのように、、、、、
❶ 学校の枠からはみ出して
❷ やたら元気で、
❸ 感情を抑え込めず
❹ 自由に、思いのままに行動する
❺でも、本人的には「ものすごい葛藤も、別事次元であるよ〜!」という
感受性が豊かで、誰よりも繊細な人。
それは、今、学校が言っている「発達障害」に他ならない。
黒柳徹子さんをみたら、誰も「問題ある言動」と評価をせずに、
「感受性が豊かで、類稀なる才能」と、評価するよね?
と思う。
「窓際のとっとちゃん」を読めば、
「やたら活発で問題がある!!!」と言われ、学校を追い出された、とっとちゃんが、
トモエ学園という、新しい学校に出会い、
「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」という、小林校長先生のもとで、
自分の、個性を伸ばし、自分の魅力を見出す、そんな素敵な体験を、垣間見れます。
学校には、学校の立場があるかもしれないけど、
子供(生徒)は、それを押し付けられる必要がないと思うよ。
映画の完成を待つ必要はないので、読んでみよう。
真の多様性とは、なんぞや。、、w
りずむK
結論)「発達障害」と言う名前が悪いよ。
類稀なる才能を持って、他人と違う行動をとる人に「障害」という名前をつけるのがよくない。
「障害」と名前をつけられた親も「き−ーーーっ!!」っとなる。
まず「発達タレント」とか? 良い響きに変えてみたらどうでしょう?と思います。
そしたら、親も「うちの子は、特別なんでーす!誇りに思います」と受け取れるかもしれない? (ですか?w)