- SEP
- 28
- 2024
久保田利伸「Missing」に涙する心は、、、。
数十年ぶりに、久保田利伸の「Missing」を耳にして、涙が流れた。
「涙」というよりも、胸が熱くなった。
その想いってなんだ?っていうと、、、、。
高校生の頃に、たくさんこの歌を聴いて、泣いた。
その頃、この歌詞にあるように、猛烈に「こんなにも切ない恋」というのをしていた。
高校生の恋は非力だ。
子供の恋には制限がありすぎる。
私の想いを受け止める相手もまた、高校生で、だいぶ非力だ。(無力よりの、非力だ)
時間の壁、距離の壁、言葉足らずの壁、優しさが足りてない壁、壁のオンパレード。
好きだけじゃどうにもならないことが多すぎて、切ない事が山ほどあった。
連絡手段も、「家でんのみ」だったから、すれ違いと、切なさは、その切実さは増すばかり。
大人になったらどうなのか?っていうと、
私もだいたい、少しづつ、ずうずうしくなるし、
相手の人が、私の気持ちを受け止める力がなかったら、「器が小っさ!」と思って冷めたりもするし。⬅︎逆ギレ?⬅︎ずうずうしい(笑)
ちゃんと「両思いの幸せ」を知ると、打算ではないけれど、そんなにむやみに「片想い」とか「実らない恋」を追いかけたりもしない。
歌詞にあるように、
「僕だけの君ならば、この道を駆け出して、会いにいきたい、今すぐに」
みたいな事で切なくなるのは、
むしろ、会いに行けなかった、10代の頃だけだなぁ、、、と思ったりする。
では、今日の涙はなんだろうか?
50代になって「あんたに切ないラブソングは一切、関係ないね」という感じなのに、
この曲を聴いて、涙するのはなぜ?
今日の涙は「もうこんなに切ない恋をする事はできない」という涙。
そんなに、切ない恋をするには、そもそも自分の中に「希望とか夢」がないとダメだと思う。
すっかり、損なわれてしまった、私の希望とか夢のない生活で、もう、そんなに切ない恋をしたり、人を想ったりする事はない、という涙です。
「あぁ、、私にも、そんな、猛烈に切ない恋をするほど、夢や希望に満ちていた時期があったんだなぁ。あまりに遠い過去すぎる」
という涙です。
10代のころ、恋は切なかったけれど、夢とか希望に満ちていたなぁ、、、という涙。
そんな頃がありました。
だいぶ歳をとりました。
本当は、まだ若いけれど、若いにしては、夢と希望が無さすぎてつらい。
とっても歳をとりました。
りずむK
でも、いい曲だと思います。⬇︎