- MAR
- 29
- 2024
生存確認と現状。「私が何か書く(言う)」ということ
ぼちぼち、横浜に来て9年になろうというところ。
すなわち、色々な手術に失敗して、「療養=隠居」状態になってほぼ9年。
生活とか、活動とか、もろもろは「かつては、どんなだったか?」と思い出せないほど、
この2年くらいは、日がな一日、ベッドに居て、ゲームとかをして過ごしている。
現状は、
目、顔の痙攣(ジストニア)はすごく良くなくて、目や顔のストレスがひどく、ほとんど見えていない。
※ 以前から言っている、常に、目を爪楊枝で刺されているようなストレス。
年の初めからやっていた「脳科学的アプローチ(治療)」はどうなったのか?というと、その考え方そのものは、すごく自分にあっていると思うけれど、色々、思うところがあって、すずきさんとのセッションは終了しました。
※ いただいたアイディアで生活に取り入れられる事は、大切にややっていきます。
ライブ活動はおろか、散歩すらしていない。
12月からは、ほとんど家から出る事もなくなり、ライブのキャンセルばかりか、日々のお散歩も出てなくて、週に1回くらい家から出る日々。
今日、関東は桜の開花宣言となったし、気温も上がってきているし、日も長くなってきているので、
まずは、日々のお散歩から、自分の生活を立て直したいと思います。
昨年くらいから、ブログにもほぼ何も書かなくなってしまった。
これだけ、いかなる活動もしていないと、
「こんな自分が、何かを発言したり、何かに意見をしたりする意味って一体?」
と、自分自身に懐疑的になってしまう。
表現者として生きてきた時と違い、何もできず、
何もせず、ただベッドでゲームをしてる人が
思ったり、感じたり、意見したり、する事の意味がないように思う。
ニュースや、テレビや、ドラマや、動物などを見て、思ったり感じたりする事は多々あるけれど、私が何かに意見をする事が何の意味があるだろう? (無さそう)
私が言うことに耳を傾ける人がいるだろうか? (いないね)
全世界の人の承認欲求の溢れたSNSでさえ、老若男女、誰だったやってるのに、どんどんついて行けなくなっている。
「我が子(久太朗とマメ太)のかわいらしさ、愛おしさでさえ、他人とシェアする意味がなさそう、、、、」と思って、いかなる動画や写真もあげなくなっている。
私自身が、タップや音楽だけでなく、プライベートや犬友なども、全面的に、ほぼ誰とも付き合いがなくなっているので、
「私が何かをあげたところで所詮、誰の興味もひかない」と言った悲観的な気持ちでもある。
そういうのも、非常に良くないので、
「習慣が大事な気もするから、
まず、お散歩に行って、お散歩の時の坊たちの様子を数秒のストーリーに上げる、というところから、リスタートしたいと思います。
夏には元気になっていたい。
こんなに活動をしないなら、りずむKサイトをもう閉じたらいいのに?と思わないでもないけれど、ブログの閲覧数100万とかまで、もうちょい頑張ろうかな、と思ったりもしています。
密かに応援してくださってるみなさまありがとうね。
りずむK