日々の事、犬の事、絵日記とか、たまに、ライブについて、とか、思いのままに書きたいと思います
三日坊主のつもりで始めた絵日記、いつの間にか、4年目に突入です
何卒、なにとぞ  りずむK

  • APR
  • 14
  • 2018

「自己責任」=「全部自分が悪い」ではないし、「自己責任」の逆は「全部、人のせいにする」でもない。

...

 

昨日、母からの電話。

「あなた、また、宇津木先生の事、あんなに書いて、、、。

 宇津木先生と、秘密を守る約束をしたんじゃないの?」

言うと思った。

「秘密を守る」ってなに? 全然、違うよ?全く、違います!!!

まず「なぜ、また、母が、そういう事を言ってくると、思ったのか?」

それは、以前に、宇津木先生が「診察室で話をした、無責任で、無神経な話し」を書いた時、

「あなた、あんなこと書いて。みんな、アーァ、そんな事、書いちゃって。先生も色々、話しを聞いてくださって大変ね〜と思ってるわよ、みんな思ってるわ、きっと」と、言ってきたから。

その時は、なんとか、堪えてスルーした。

「みんな?思ってるんですか?」

「みんな?医者は、診察室という密室で、患者に無神経で、無責任な事を言っていいと思ってるんですか?」

偉い先生の話しは、お金を払ってでも、講演会とか聞きたい人はいるかもしれないけど、私は、お金をもらっても結構です。

と思っていましたが、その時は、なんとか、堪えました。

その以前のブログはこれです。

https://rizumu.je2.jp/blog/9-30-ishatokannjanomittshitunokyoufutoka/


 

そのブログから引用します。

「りずむさんの表現の自由を阻害することがあってはなりませんが、診察室での話は、できるだけ私とあなたの間に留めていただけると、私も自由な発言がしやすいです」

Dr宇津木と交わしたメールはこれです。

母は、私が何かしら「先生と秘密を守る約束をした」と勘違いしてるらしいけど。

1)医者は守秘義務がある。

医者が、患者の名前とか、病名とか、やってる治療とかをベラベラ他人に言って良い訳が無い。

2)逆に、患者が、病院内や診察室内での事を、人に言ってはいけないという事はない。

それこそ、おかしいじゃないですか?

病院内で行われてることや、医者がやった施術、医者の言動を、言ったり、記したりしてはいけない?

それは絶対におかしいですよね?

宇津木先生は「自分が自由な発言をしたいから」できれば、言わないで(書かないで)欲しい、と言ってきたけど、

その言葉、自体を言ってはいけないように感じました。私は。

医者は、人に言われたり、書かれたりしたら困るような、言動を、診察室内や施術で、行ってはいけないんじゃないですか????


 

母は、その点を「私が、何かしら宇津木と約束をしたけど破った」というレベルで勘違い。

その勘違いのレベルは、もう、どうでも良いくらい、全く勘違いすぎると私は思います。

そのあとで、母は、ひたすら「自己責任」という言葉を並べ立てた。

以前から感じていたが、「自己責任」というのは、

1)なんでも、かんでも、自分のせい、とは違う。

2)なんでも、かんでも、自分が悪い、でもない。

3)「自己責任」の反対語は「全部、人のせいにする」でもない。

と、私は思います。

母は、昔から、私が少しでも、異論反論を申し立てると、「すぐ人のせいにする」と、ヒステリックになる。

今回の、私が「宇津木流を捨てたわけ」の記録を見ても、

母の意見は「自己責任でしょ? あなた、すぐ人のせいにする!!」と、言う訳だ。

違いますよ?

なんでも、かんでも、自分でやるなら、

ボトックスを入手して、自分で注射を打って、自分で修正して、(云々)

全ての医療行為を自分でやらないといけません。(違法です)

医者が何をやって、医者が何を失敗して、

医者が失敗を認めて、医者が謝ってくれても、ツライのは自分だから、

何の施術を受けるにしても「同意書にサイン」してるわけで、その選択は、自分の責任です。

だから、宇津木は、今回の失敗について、彼自身が分析して、そして失敗を、ひたすら謝ってはいるけど、別に「謝って欲しい」訳じゃない。

そこに記録を残したのは、

1)自分がまた同じ過ちをしないため。

2)自分が、次に選択するときに、失敗しないため。

3)同じ症状で苦しむ人が、同じ間違いをしないため。

そこに、母が言う様に、

「何でもかんでも、私が悪かったです。全て自己責任だから、悪いのは全部、私です」とか記したところで、何の改善にも、何の助けにもならないんです。 


 

もう、病気が治って、治療が終わったなら、ソレで良いかもしれません。

母が「私なら過去の事」として、もうスルーするわ。と言ってた。

本当に「過去のこと」になっているなら、ソレでいいのかもしれません。

でも、これからも、病気との付き合いは続くし、

注射は必要になるし、

注射を打つ以上は、失敗のリスクはついてくるし、

そして病気と、向き合っていくのは、自分ですから。

だから、今回は何が失敗で、どこが悪かったか?

と言う、Dr宇津木の見解と、自分の見解を記したまでです。

「全部、何でも、人のせいにする!!!」とは、違います。


 

母は、自分が言い出したけど、もう、その話しを聞くのが嫌になった様で、電話をがちゃんと切った。 

私も、母が、

「自己責任」=全部自分のせい。

「自己責任」の反対は= あなた、何でも人のせいにする!!

と思ってる以上、これ以上、何も話したくない。

それは、違うと思うから。

それは、親であっても、正しくないと思うから。


 

電話を切った後で、母から、

「残された時間に、私も私らしい仕事を立ち上げられるか?焦る、後期高齢者です」とラインがきた。

両親と、今の私とには、この「巨大なギャップ」もある。

その「巨大なギャップ」とは、両親の場合。

時間) 残された時間が、後10年なのか?20年なのか? 

仕事)ずっと仕事に情熱を注いできて、まだまだ、やりたい事が山とある。

気持ち)残された時間と、やりたい事のバランスで焦る。

と言う感情に対して、今の私は、

まだまだ、これから40年、50年、生きていいないといけ無いと思うだけで、気が遠くなる。

「今、何かをやりたい」と言う気持ちが一切ない。

これから先が長いのに、今、焦ってもしょうがないと、腹をくくっている。

と、いう感じで、

1分1秒、一瞬一瞬を大事に生きている両親に対して、私は、1日、1週間、1ヶ月、1年を、ただただ、過ぎ去ってくれ、と言う思いで、何とか、やり過ごしている。

ある意味、「時間」とか「今」に対する思いが「真逆」だから、価値観や温度が、合わないのはしょうがないと思う。

それだけのギャップがある人間が、一緒に何か考えたり、一緒に何かをしようとすると、お互いがイライラして、不必要に相手を傷つけたりもするだろうから、

まぁまぁ 離れているのが良いと思う

親には「期待に応えられずすみません」と言うメールを送った。

すみません。。。

親子は、お互いに、絶対に「言い過ぎる」と言う甘えもあるし、絶対によろしくない。

りずむK