最初に、結論だけ言います。
あれも、これも、それも、どれも試した。
次に何かやる? 何をしたら治る? と言う前に
「辞めれるモノを辞めたい」と思います。
※ まず、3ヶ月前にボトックスをやめた。
※ 今度は「ベンゾジアセピン系の薬」を、少しづつ、辞める方向に持っていきたいです。
「ベンゾジアセピン系の薬が、眼瞼痙攣を引き起こす」と言う説があります。
※「ベンゾジアセピン系の薬をやめたら、眼瞼痙攣が治った」と言うコメントをくださった方もいます。
※ どの医師も言わなかったコトです。
※ 心療内科医に、何年もの間「目が辛い」と訴えてきたけど、その当人が処方してる「薬と眼瞼痙攣の因果関係」の説明とかは、当然、無し。
できるコトから、コツコツと、、、。
※ 他の人が、コレで治ったからと言って、「私も!!」とは限らないけど
※ 次のオペ、次の注射、と考える前に、
辞めれるものを、辞めてみたいと思います。
なぜ?「ベンゾジアセピン系の薬」と「眼瞼痙攣」がピンとくるのか?
※ 「思い当たる節」がありすぎる。
〜 時系列で、私に起きたコトを振り返る 〜
1、卵巣癌&抗がん治療
2、うつ病
3、眼瞼痙攣 & ジストニア
うつ病の始まりと、眼瞼痙攣の始まりが「完全に曖昧」です。
※ はっきりと「うつ病」と気づくより、相当前に(数ヶ月前だったか、1年以上前)不眠症になった。
※ 数ヶ月、色々な薬を、試した後に「眠れる薬」に出会う。(サイレース)
※ その後、元気に仕事を継続。
※ ちょいちょい、腰痛に苦しむ。
「腰痛で休養」という期間に、初めて「眼瞼痙攣を観測」した
※ 初めて、目がピクピクして、何これ?何これ?となった瞬間
※ 調べれば、日時は特定できる。
※ ライブがあって、私は出れないけど、挨拶だけ行かなければならなかった。
※ 場所ば青山の「キャピタルクラブ」
本番の真っ只中に、目がすごく痙攣を始めた。
※ なんだろう? 目がしょぼしょぼする?
※ 何これ?
※「バンマスのくせに、ライブに出ない」という、緊張?苛立ち?ストレス?
とか思った。
その日から、突然「眼瞼痙攣」との戦いが始まる。
※ 腰痛の治療中です。
※ 腰痛治療も、当然、色々、試しました。
そして、腰痛が「心因的なモノ」という考え方に出会う。
※ 整体とか、カイロプラクティクとか、
※ 針とか灸とか、
※ 「神の手」とかその類
などなど、もろもろ「その類い」では、治らない。
「認知行動療法」とその他の「心のケア」(カウンセリング)により腰痛の治療。
※ この頃はまだ「精神科」には通ってない。
※ がん治療からの流れで、婦人科の先生の提案があった。
※ 腰痛は「心因性の場合がある」という発想からの提案。
「抗うつ剤飲んだコトある?」
初めての抗うつ剤がパキシル。(ベンゾジアセピン系じゃない)
「腰痛のカウンセリング」の先生と「婦人科の先生」の双方の意見の一致と、助けにより、腰痛は完全に克服。
※ 1年くらいは、治療に費やしたと思う。
※ まだ、うつ病じゃないです。
※ 腰痛も治ったし。
※ ただ、目が痙攣する。
※ なんだろう? これも「心因性か?」と
※ でも、腰痛が治ったし、元気に仕事。
「元気に仕事」という割に、目が辛くて、眼科を渡り歩き始める。
※ まだ、うつ病じゃないです。
※ 眼科で「眼瞼痙攣」という言葉も出てこない。
御茶ノ水の「井上眼科」が偉いとか、凄いとか紹介される。
※ まだ「眼瞼痙攣」が保険適応になる前です。
※ 保険適応になる、10年くらい前。
※ 井上眼科では「知らぬ存ぜぬ」「何それ?」「気のせいじゃない?」
※ あるいは「ストレスじゃない?性格とか?」と人格否定も受けた。
※「眼瞼下垂にはまだ早いしね」という扱いを受ける。
※ 偉い「先生」は自分がわからないと患者を否定して満足したいらしい。
井上眼科は、2012年に「眼瞼痙攣と薬」のコトを発表したらしい。←これについて、後ほど。
※ 知らぬ存ぜぬ、気のせい?性格じゃない?、、、はどうした???
どんどんひどくなる「眼瞼痙攣」
※ 病院を渡り歩き、ボトックスに出会う
※ ボトックスでしのぐ日々
※ でも、ボトックスで、しのげていた。
目が「痙攣」ではなく「あれ?開かない?なんで閉じるの?」と感じ始めた頃と、うつ病の本番の時期が、どっちが先だったか? 同時か?
※ 実際、どこからが「うつ病」なのか?
※ 不眠症も、うつ病のサインの1つ。(薬で解決)
※ 腰痛も、うつ病のサインの1つ。(カウンセリングとパキシルで完全に克服)
「目の痙攣も、ストレスや鬱の、サインの1つか?」と思っていた。
明らかに「おかしい」と感じ始めた時、既に遅し。(うつ病に突入)
※ ちゃんと食べてるのに、日々、体重が減少。
※ どんどん痩せて、衣装を直しても、直しても、また直す。
※ 最後の本番の記憶は、ほぼない。
※ 後に、写真を見たら、笑ってる。
※「死ぬほどの恐怖」と思ったのに、笑ってる。
※ 楽しかったのか?と、本当に記憶が曖昧。
※ ここも、日時は特定できる。
※ インターナショナルタップフェスの一年目。(初年度)
この出演を最後に、完全に「うつ病の本番」を迎える。
ここから、本格的な「心療内科」での「抗うつ剤治療」です。
※ 心療内科の治療とは、
※ とにかく、あれこれ、手探り
※ 「うつ病」は医師にとっても未知の領域なので
※ 結局、あれこれ、薬を試し、
※ 即効性のある薬はないので(眠剤は別)
※ 数週間飲んで、様子を見る、を繰り返す。
悪化に伴い「女子医大の心療内科の坂本」を紹介される。
※ 坂本は、30分の予約の枠に、五人とかそれ以上の患者の予約を入れている。
※ 坂本は「どう?」と聞くだけで、患者の言葉は聞かない。
※ 患者の顔も見ない。
※ ただただ、薬を処方する。
一年ぐらい地獄をさまよった後、ある日突然「地獄の淵」から生還。
※ あれこれ処方したし「何がどう効いたか?」わからない坂本。
※ 「どうやって治ったの?」と私に尋ねた。
※ カウンセリングの先生との「認知行動療法」などの治療も続けていた。
薬とカウンセリングの先生の助けで、地獄から這い出た。
※ この頃、目がどうだったか? とかの記憶もない
※ うつ病は「闇」です。
※ 終わりの見えない「闇」
※ ただただ「恐怖と不安と死にたい」だけが続く、終わりの見えない闇。
「闇」から這い出たが、リバウンドは恐ろしい。
※ うつ病は、大変「繰り返しやすい」です。
故に、いかなる、抗うつ剤も、抗不安剤も、急には辞めれない。
※ 闇から出ると、現実が戻ってくる。
※ 目の痙攣
※ ひどくなって、目が開かないコトが多い。
※ 心療内科、坂本に「目が辛い」ことを訴え続ける。
※ 患者の顔も見ないような医師、「目がどうのこうのの話」聞いてるわけがない。
毎回「じゃあ、同じように薬出しとくから、自分で調節してね」と言うのみ。
※ 大量の薬を処方して、調子に合わせて、減らしたり、増やしたり「自分で調節しろ」と。
※ あれだけ「目が辛い、目が辛い」と訴えていたけど、
当然、自分が処方してる薬と、目が辛いコトの因果関係に触れるコトもなく。
※ カウンセリングも続けてきた。
※ でも、どんどん、うつ病の症状が改善されてくると「認知行動療法」が嫌になってくる
※ 「目が辛い」とか「目が痛い」とか「目が開かない」とか
※ 何かしらの、キーワードで、心の傷(ストレスの原因)を探そう、と言っても
「今、何もないです!!! 何がストレスか?って言ったら、目が辛いコトそのものがストレスです!!!!」
と、カウンセリングの先生に、当たり散らしたくなる。
※ 腰痛が、整体やカイロで治らなかった(心因性だった)反面、
今度は逆に、なんでも、かんでも「心因性」ではない。
ここで「ジストニア」という言葉と、女子医大、脳神経外科、平の登場。
「ストレス? そんなものでジストニアになるなら、僕ら全員ジストニアに、なってます」by平。
※ その後の、脳神経外科的な治療と失敗は、他の記事を参照。
※ この、脳のオペと、その後「電気治療で足が動かない」コトに気づいて、
「本格的な休養」に伴い「鬱の予防」を始める。
※ オペをやったら治る!! と信じたのに、治らない。
※ 治らないばかりか、足も動かない。
※ 足が動かなければ、廃業です。
そして、アノ「地獄の淵」からは、再び這い出ることは絶対できない。と思うので、鬱の予防は続けた。
※ 仕事に復帰している間も、坂本が処方を続けたのは、メイラックス。
※ とにかく、急に辞めたら危ないからと、メイラックス。
※ 適当に自分で調節してねと、メイラックス。
※ そして、眠れないのは、一番よくないと サイレース(ロヒプノール)とロゼレム。
誰だって、言うでしょう。
医療関係(医者、看護師、薬剤師、病院経営者、その他)の友人や生徒はたくさんいる。
誰だって、医療関係者側の立場からだったら
「勝手にやるのは危険だよ!!!医者に行け!!!」と言うでしょう。
※ 坂本に「転院の希望」を再三、申し入れたが、なぜか「イヤ、ここで診ていきましょう」と断られる。
※ なんで断る?忙しくて、顔も見ないじゃん?
※ 心療内科では「権威」と言う坂本。
※ 「権威」にかかったら、かかったで、紹介状を書いてくれないと、他の病院に行っても、断られる。
それに、どれだけ長い間「目が辛いコト」を坂本に訴え続けたか????
※ もし仮に「目の痙攣と薬」について質問しても、この10年以上、出てこなかった言葉は、今更、出てこない。無駄です。
「やれるコトはやってみよう」と希望を捨てず、挑んできた。
※ 眉の上も下も切った。← イチカバチか?
※ 頭蓋骨に、穴を開けるのもやった。←「ジストニア」治療の第一人者。
※ 瞼の上と下を切るのもやった。←「眼瞼痙攣治療」の第一人者
「まだやってないコト」をやる前に「辞めれるモノを辞める」時だと思います。
※ 御茶ノ水の「井上」
※ 女子医大の「坂本」と「平」
※ 松尾眼瞼クリニックの「松尾」
(「先生」か「第一人者」か何か?もう私にはわからないので、敬称略)
やはり頼れるのは自分と、実際に体験した人の「体験」のみです。(そして、決めるのは自分)
まずボトックスを辞めました。昨日でちょうど、3ヶ月です。
※ 「目がどんどん小さくなるのは、典型的なボトックスの副作用じゃないか?」と言う、見地から、辞めて見た。
※ 3ヶ月経過したけど、変わらない。
※ 目は開かないし、痙攣は辛いし、右目はどんどん小さくなる。
そして、今度は「薬」を辞めて、いきたいと思う。
※ 当然、減らしていくコトからはじめます。
※ 勝手にやるな?は、わかっています。
※ 急に、自分で勝手にやるんじゃないです。
長年、自分で調節していたものを、辞める方向性に、ゆっくりと変えてみる。
※ 処方してる当人が、そもそも「自分で調節してね」だからしょうがない。
※ そして、坂本が一切、触れるコトがなかった、
「ベンゾジアゼピン系の薬」によって、眼瞼痙攣が起きている。と言う可能性。
※ うつ病が治り、元気な時も、途切れるコトなく、増やしたり減らしたりして、飲んでた、メイラックス。
※ 不眠により、頼っていた、ロヒプノールとロゼレム。
3つとも、ベンゾジアセピン系の薬です。
「ベンゾジアセピン系」の薬で、眼瞼痙攣になり、薬をやめたら治りました。
と言うコメントをくださった方がいます。
※ どの「第一人者」も言わなかったよ、一言も!!!
※ 御茶ノ水「井上」は、2012年に「ベンゾジアセピンによる眼瞼痙攣の発症」を発表したそうです。
※ 一度「情報とヒント」を得ると、どの薬のページにも、書いてある。
※ 副作用に「痙攣」と書いてある。
処方してる「坂本」も一言も言わなかったよ。薬の副作用。
あれだけ「目がツライ、目がツライ」と訴えたのに。
時間はかけます。
もう、何事も、急がない。
※ この手の薬は、時間をかけて、効いてくるし、時間をかけて抜ける。
※ 時間をかけて、辞めれるコトを、辞めて行って見ようと思います。
「辞めるリスク」のコトは、常に最大限に、自分の頭に置きながら、ゆっくり辞めてみようと思います。
りずむK
PS コメント欄に、たくさんの情報、心から感謝いたします。
「サイトの異常」の問題は、まだ特定できてないですが、全てのコメントだけを、読めるようになりました。
こちらも、時間はかかりますが、ゆっくり拝読させていただきます。