眼瞼けいれん、ジストニア治療の道のり

私自身が10年間、苦しんだ、
「演奏家に多い」と言われる病気の、手術と治療について記しています。

8月1日「1ヶ月半のパニック」と「見えない暗黒」期間。

...

左) この1ヶ月半 ずっとこう

中) ぽりが来た時の夕方 (7月28日)

右) ぽりが帰ったあとのその日ずっと (7月28日)


 

6月15日くらいから、全く、目が開かず。

そして、薬の離脱症状もどんどん激しくなって、

とにかく「朝、起きたら、黙々と歩くしかない」と、

歩き続けて、三千里って感じ。

足が痛いし「明日こそ、散歩を休む!!!」と、毎日、思うが、

夜中のパニックがひどくて、夜が明けたと同時に毎日、飛び出す。

足は、疲労で痛いのもあるし、

プラス右足の爪は、1ヶ月くらい前「血豆?」って言ってたけど

もう、真っ黒になって「爪、死んでます。」って感じ。

この指だけ、すごく飛び出してるから、当たるんだと思う。

けど、もう死んでて、痛くも痒くもないからいい。

あぁ、足が痛いです。 笑 
爪は 死んでるからいい。 


 

そして、歩いてるにも限界があるから「塗り絵」始めたね。

それで、やっぱり、目が全く、開いてないんだけども、

1)塗り絵の時だけ、開いてる。

2)塗り絵に集中することで、多少、パニックが和らぐ

というわけで、

「ただただ、歩いてるか、色を塗っているか」しか為すすべがなかった、1ヶ月半。

もう、塗りたくないけど、塗っている。


 

そして、1ヶ月半の暗黒を経て、7月26日くらいから。

「あれ? ボォ〜っと 座っている、私。」とか、

「歩いたり、色を塗ったりしないで、何もしないで、座っている」とか

「おや?朝まで、眠ったぞ?」とか

凄まじかった、パニック症状が、やや落ち着いて来た気配を感じた。

だいぶ、何もしないでも、居られる時間があったり(でも、少しです)。

そして、誰にも全く、会えなかった、1ヶ月半を経て、

ぽりちゃんに会えるような気がして、桟橋で会う。

(7月28日)

タップをしてる時

P「元気そうじゃないですか?」

り 「元気そうにはできるんだよ」

P 「元気じゃない?」

り 「顔、これだからね、顔面のストレス激しい」とサングラスを外す。

これが「顔の基本形」です。


 

そう。割と、みんな誤解してるけど、

足が悪くて、仕事を休んでる訳じゃない。

あれだけ、色々、凄まじいオペをやった割に、

何1つ治っていない顔、開かない目。

前、仕事してた時は、顔じゅうにボトックスを打ったりしていたから、ここまでじゃなかったけど、

今は、何もしていないし、ジストニアは進行(悪化)するので、

今は基本的に「この顔」。

基本形ね。


 

そして、飲みに行く。

飲んでる途中、午後3時頃、目が開いてくる。

夕方5時頃、ぽりが帰る前に、坊ちゃんたちに会いに来る。

私、帰宅して、メガネ、外す。

P 「あれ? 顔? 顔? 顔?」

 「そう、さっき、飲んでる時に開いたの」

P 「なんなんだ? 別人」 と驚く

左) 基本形の顔 (桟橋でタップの時)

中) 夕方 帰宅した時 

右) その後、その夜、寝るまでずっと(0じくらいまで) 

左) 基本、開いてない プラス 顔の中心に全部が寄る。
中) 夕方 (飲んでる途中から)
右) 28日の深夜まで 開いたまま。 (塗り絵とかやってない) 


 

それから、29、30、31日 と

「目がずっと開いてる」訳じゃないし、

「ずっとパニックが楽チン」でもないけど、

この1ヶ月半の「何もかもが、ずっとひどい」状況は、

少し変わって来ている。

そして、今日も、やはり、朝起きたらば、歩くしかなく歩いている。 

8月は「良い方の時期」になることを、心底、祈る。

ただ、ただ長期戦です。

体内の、薬の血中濃度が、だんだん薄まって、

薄まると、離脱症状が強く出るけど、

それが 、激しく出ちゃわないように、

できるだけ、穏やかに、ゆっくりと、薬を減らし、

パニックの時間が、少しづつでも、減っていき、

逆に、目が開いてる時間が、1時間でも2時間でも増えて行くことを願う。

という、長期戦。

りずむK 

左) 1ヶ月半 ズーーーーット これ からの
右) 7月27日くらいから、パニックの軽減と共に、たまに目が開いている。
 (塗り絵をしなくても、開いている。)  

もう、塗りたくないのに、
頑張って、塗ったので、
なんか、アピールしてるだけ。