「左の耳の傷が痛い」と、訴え続ける事、1ヶ月。
オペをしたのは、3月の初め。すなわち、オペからもう2ヶ月。
傷は、通常、1ヶ月もしたら、開く事はないし「パーマでも、カラーでもなんでも、どうぞ」なはずです。
連休に入る前に「嫌な予感する」と思って、もう一度Dr堀澤に
「抗生剤とかやらないの?」と聞いてみた。
「様子見ましょう。赤くなったり、腫れたりしてないとねぇ、、」だって。
連休に入って、速攻、昨日から、突然、頭の傷だけでなく、
傷からは、茶色い体液(浸出液)。
頭頂の機械の部分が、ガンガン痛みだした。
※ 耳の後ろの傷から出る、液体。↓↓↓
留守をあずかる、Dr平チームの女性の医師、慌てる。
なぜなら、「頭の機械も取らないと」、となったらば
1、DBS(電気刺激)できなくなる。
2、Dr堀澤が、やりたがっている「焼き切る(凝固)」オペもできなくなる。
ここに来て、急いで、
「強い抗生剤を出しますから、粘りましょう!!!」だって。
もう、頭頂の、機械の所まで、赤くなっちゃてます。
遅くない? なぜ?そこまで 待つ????
私は、
1、DBSの継続の可能性(セントジュードの機械をまた体に入れる可能性は、私の中で、もう無い)
2、メディトロニックスの機械に変える可能性(すなわち転院)
3、凝固のオペの可能性
など、諸々の可能性を含め、Dr平と話をしないと、何も決められない事を、伝えて、帰宅しました。
いづれにしても、「頭に入ってる機械も、もうダメだ」ってなったら、どれも出来ないです。
女子医大のシステムには、もう「心身がついていかない」。
りずむK